K'sDiary
“一冊目” --
本編
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外伝
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後書きコメント
“一冊目”
〜1〜 キャスがMUを二年以上続けて学んだことがいくつかある。 一つには、MMOに完璧なものを求めるなんてことは“そもそも不可能”だということ。 その代わり、最高のものにする方法はいくらでもあるのだということ。 他にもいくつかあるが、大切なのはその世界を愛せているかどうかだ。 愛してもいない世界に存在し続ける、それはとても不条理なことだから。 リアルと違い、MMOは“それ”を選べるのだから。 そして、バラエルを250以上のレベルまで育てて気づいたこともある。 それはレベル上げとは“強くなるためのもの”ではなかったということだ。 皆、スタートは同じ。 敏エル、バラエル、エナエル、その違いは呼び名ほど大きくはない。 けれど、異なる方向に進めば差が出来、その差は大きく広がっていく。 レベルが上がるたびに振ることの出来るポイント、それは高レベルになるほど蓄積され、あるいは投資されていく。 理想的な育て方を守るのも良い。 人気の育成を実践をするのも良い。 ただそうすると、ふと隣りを見たとき、いつでも自分と同じ他人もいるだろうというだけのことだ。 もっとも、それは決して悪ではない。 個性的とは推奨されるべき善ではなく、ただの選択肢の一つでしかないのだから。 唯一つ大切なことは、自分で選ぶということだけだ。 コーティ・キャス・コーティー、彼女に「レベルが上がるということは?」と聞いたなら。 彼女はこう答えるだろう。 「自分らしくなっていくということ」 そんな彼女の日常は戦争で始まる。 リアルで三児の母であり、夫は単身赴任とくれば、これはもうトライアスロンと言って良い。 こと、子供が幼い間は。 昼間は優雅な外食に出かけ、夕方までのんびりワイドショーを見。 そんな生活を手に入れるには受験戦争よりも過酷な戦争をくぐり抜けなければならない。 すなわち、24時間、まとまった休憩時間などない幼児の要求に応え、愛情を持続させるという忍耐を試されるということだ。 彼女はこの闘争中のことを振り返ると、夫が遠く離れた地にいたことを幸運だったと思う。 睡眠を中断され、不平をもらすのは自分だけでたくさんだ。 “もう一人、ぐずる大きな子供がいるなんて冗談じゃない”。 昼間働き、くたびれて帰り、死んだように眠る男に“うとうとすることも許されない生活”なんて想像も出来ないはずだ。 おまけに恋人の義務も果たさずにさっさと眠る男ときたら! 昼は夫として仕事に、夜は恋人としてベッドに。 それが果たせて初めて男として一人前。 そんなことを書いていた女性誌のコラムを思い出す。 だが、それを読んだときに彼女は思ったものだ。 そんな男がどこにいる? もし本当にこの世にいたら、バツイチになるリスクを犯すだけの価値はあるだろうに。 とはいえ、子育ては苦しみしかないわけではないし、永遠に続くわけでもない。 あの過度期は言ってみれば兵役期間のようなものだ。 彼女の長男はもう中学に上がったし、次男も再来年には小学校を卒業する。 もう随分と手がかからなくなった。 もっとも、上の子はもうすぐ悪魔の季節に突入するだろうが。 それは一般に思春期と呼ばれる。 あれこそ、母親を遠まわしに暗殺するために悪魔がかけた呪いだ。 反抗し、理解を拒み、そして・・・ と、そこで彼女は首を振ってその考えを追いやった。 こんなとき、幼稚園に通い出したばかりの長女のことを考えることにしている。 あれこそ、天使だ。 彼女は思う。 一緒にどこへ行っても、あの子は世の中を少しだけ良くしてくれる。 そう、子供とはそういうものだ。 〜2〜 ようこそ、ノリアへ。 上の子二人を送り出し、娘を送迎バスに乗せ、一息ついた彼女は異世界に降り立った。 昼食は自分しか食べないから手抜き。 その代わり、MUで気晴らしに英気を養う補給をする。 これはそう、過去の戦争を生き抜いた母親に許されたご褒美の時間だ。 倉庫をチェックしながら、 「んー、そろそろ混が少なくなってきたわねぇ」 キャスはクエストを梯子するほどでもないが、昼間は空いているのでPTが見つかればDSにもBCにも行く。 敏よりのバラエルとあって野良は厳しいが、1PTなら問題は無いし、この時間にいる面々も限られている。 それなりに知り合いも増えるというものだ。 「両替えする祝・・・欲しいなぁ」 貧乏はつらい。 (うし。ソロで混でも出してきますか) 倉庫番バズに声をかけ、取り出すのは雑魚用のセット装備。 (う) 目が合った。 アルゴスに限らず、精霊装備の仮面はコワイ。 これから自分で被るとはいえ、このデザインはなかろうといつも思う。 が、セットオプションのWダメージは魅力的だ。 (我慢するか・・・) いそいそと着替える。 と、そこへ声をかけられた。 「あら、今日は早かったわね」 「シル」 振り返った先に立っているエルフの姿は、白銀に輝く凛々しい女騎士といったところか。 オーラを纏ったパルテナ装備の敏エルで、シロベーンという。 愛称はシル。 実際に会ったことは無いが、キャスとはリアルの年齢も近く、主婦仲間といったところ。 MUで一番の親友だ。 彼女はMUでも凛々しいが、リアルでも相当な美人という噂。 なんでもモデルをやっていて、今でもちょくちょく雑誌に載ることがあるらしい。 うは。 雑誌に写真? 三十路の谷を渡り早数年、そんな勇気が持てる女がいるなんて! 羨ましいやら、おそろしいやら。 性格のほうも目の前の凛々しい女騎士姿に相応しく、すぱっと意見を言い、腹立たしくなるほど正論だったりするときた。 モデルというのだから、収入のほうも推して知るべし。 ちなみに旦那は上場企業の支社長だとか。 まったく、神様の辞書に平等という言葉をいたずら書きしてやりたいものだと思う。 子供はいないらしいが、料理の腕もプロ級。 彼女が言うには、欠点は潔癖症の掃除魔だということらしいが・・・それもずぼらな主婦としては何と答えたものだろうかと。 「シル、あんた・・・相変わらず綺麗ねぇ」 「それ、嫌味?」 「これが嫌味なら、あたしは首を吊るしかない」 肩をすくめるシルに、 「どうせ、リアルでもばっちりメイクに服までコーディネイト済みなんでしょ?」 まだ昼前だっていうのに。 キャスに言わせれば、高級レストランにも入れる姿で朝のゴミ出しする女は怪物だ。 「あのねぇ、そんなわけないでしょ。ナチュラル・メイクよ」 目の前の怪物のご返事。 「外出する予定も無いのに?」 「キャスったら・・・いいわ、リアルで会ったら10分で出来るメイク教えてあげる」 「・・・朝に10分あったら、他にしたいことが10も思いつく」 と、そこで思い出したことを相談してみた。 「シル、混余ってない?」 「生命や祝なら余ってるけど」 「混」 「霊なら・・・」 「混!」 がるるる。 「ごめん、ない。・・・キャスも両替え転売すれば?」 「石の相場変動についてく自信がない」 「大丈夫よ。上手くいけば混くらいは浮くし、ミスったってプラマイ0にはなるもの」 株のデイトレーダーのようなもので、祝と霊に混あたりの相場は時期によっては小金を稼げるものらしい。 「装備や合成素材もね、けっこう儲かるわよ?」 「ロックとか?」 「他にもフェンリル素材とか」 「前に挑戦したけど・・・祝14で買って、翌週には祝12になっちゃってた」 以来、キャスは自分の転売の才能は信用しないことにしている。 「“馬は死ぬ前に売る”こと。転売のコツはね、損失を次の人間にまわすってことよ」 キャスは時々、目の前の親友にこう思う。 くそぅ、この完璧超人め。 「@みんな、今ヒマな人は7サバのララ前に集合してくれる?」 ギルマスだ。 「あ」 「ん? どうしたの?」 「ごめん、シル。ギルチャで集合かかっちゃった」 ギルマスのギルドチャットが続いた。 「@忙しい人は無理に来なくてもいいから、無理しないで」 ふむ。 キャスは少し考え、目の前の親友にたずねた。 「雑談って、“忙しい”に入るかしら?」 「相手が良いオトコならね」 〜3〜 「巨乳が揺れてるとこはさ、世界の絶景100選に選ばれるべきじゃないかな」 集合場所のララ前に近づいたとき、待っていたのはジョーイのおバカなオープンチャットだった。 どうやらギルド“ワラビー”のメンバーはヒマ人が多いらしい。 既に4〜5人のギルメンが揃っていた。 中央にいるのはギルドマスターのアゲハ。 彼女はエルフで、ギルド内でも屈指のエナエルだ。 物腰は柔らかいが、人望もあり、申し分の無いリーダー。 その横にいる裸ナイトは・・・見覚えが無い。 「お待たせ。アゲハ、その子は新人?」 「キャスも来てくれたのね、ありがとう」 「どういたしまして」 芝居がかった仰々しい会釈をしてみせる。 「これで全員かい?」 これは二次羽ウィザードのオポッサム。 「今INしてるのは揃ったんじゃないかな」 二次羽ナイトのチャンドラー。 「それじゃあ紹介するわね。彼はインディよ、インディペンデンス」 アゲハが裸ナイトを紹介する。 「あら、誰かのサブじゃなかったのね。初めまして」 二次羽エナエルのジョン、彼女はセト装備の極エナのエルフ。 「はじめまして♪」 「よろしくな」 「こんです^^」 それぞれ声をかけていく“ワラビー”のギルメンたち。 インディのほうはぶっきらぼうに 「こん」 と一言返しただけだったが、きっと緊張しているのだろうと皆は好意的に思った。 が。 それは間違いだった。 「まだMUを始めたばかりだから、みんな色々と教えてあげてね」 と柔らかく言うアゲハに、 「アゲハ、別にいいって。それよかレベ上げたいんだけどさ」 ジョンさんからPT要請が来ました。 PT要請を受諾しました。 「~キャス! 聞いた? 呼び捨てよっ、呼び捨て!!」 PTチャットでジョン。 「~・・・同じとこが気になったみたいね」 苦笑してキャスはPTチャットを返す。 「~ええ、そりゃもう気になっちゃいましたよw 信じられない!」 興奮気味の返事が返ってくる。 「~んー、あんま態度の良いやつじゃないな」 いつの間にかPT加入しているオポッサム。 まだ出会って間もないが、インディは悪印象を残すことにかけては天賦の才能があるようだ。 ふと目が合ったチャンドラーは、 「~あー・・・俺の感想、聞きたい?」 「~予想つくから、いい」 そんなPTチャットが裏で行われる中、アゲハは 「あ、そうね。ごめんなさい」 「~なんでアゲハが謝るのよっ!?」 「~ジョン、興奮するなって」 そんなPTチャットが裏で行われる中、 「えぇっと・・・インディ、MMO自体は初めてじゃないのよね?」 「そそ。だからレベ上げだけ手伝って欲しいんだけど」 裸ナイトはあくまで横柄だ。 「それじゃあ・・・」 アゲハが言いかけた途端、 「あ、ごめん! 取引行ってくるね」 ジョンが逃げた。 「~ジョン、ずるいわよ!」 「~そう言わないでよ、キャス。気持ちは分かるはずよ」 「~そうだけど・・・」 「取引じゃ仕方がないわよね。ん、いってらっしゃい」 PTチャットの内容など知る術も無いギルマスが笑顔で送り出す。 そして、 「キャスは時間あるかしら?」 おぉ、神よ。 「無いわけじゃないけど・・・」 あぁ、あたしの馬鹿! アダムが禁断の林檎を口にして以来、いまだかつて正直者が得をしたことなどあっただろうか? 嘘はいけないと厳しく躾けた両親が恨めしい。 「アゲハは駄目なのかよ」 責めるように裸ナイトが言った途端、すかさずPTチャットで 「~また呼び捨てっ!!」 「~ジョン・・・あなた、取引に行ったことになってるんじゃなかった?」 「~友を見捨てられない友愛の心のせいよ」 隠れたままで何を言うか。 「~・・・本当の友達は逃げたりしないものよ」 返事は無かった。 涙が出る友情に乾杯。 「ごめんなさい、約束があるの」 本当に申し訳なさそうに言うアゲハ。 リアルで予定があるらしい。 そんなギルマスを恨めしい目で見ることを神様はお許し下さるに違いない。 「ちぇ。じゃあキャスでいいや」 「キャ・・・?」 (・・・) 「~ねぇ、今のあたしの気持ちをみんなに伝えておきたいんだけど」 「~キャス、皆まで言うな・・・よく我慢した」 「~俺なら即ヘルバかましてる」 「~ありがと。オポッサム」 今、あたしの代わりにヘルバを食らわせてくれたらキスしてあげる。 「外サポよろ」 外サポ? やれやれ。 最近の初心者様はお詳しいこと! 「キャスは経験豊富なミュティズンだから、色々と教えてくれると思うわ」 さすがに場の空気を感じて、キャスのほうに申し訳なさそうな表情を見せながらもアゲハ。 ギルマスとして苦しいところなのかもしれない。 でもね、アゲハ。 キャスが目線で伝える。 あたしがこいつに一番教えたいのは口の利き方よ。 「キャスってee?」 ・・・まずは深呼吸。 アゲハは好きだし、ここは彼女のギルマスとしての顔を立ててやるべきだろう。 キャスは無理に笑顔を浮かべて、 「いいえ、あたしはバラエルなの。でも・・・」 言いかけたが、 「ぷw」 「「「!!」」」 キレた。 今、“ぷw”って言った? “ぷw”って言ったわよね? 無理に浮かべていた作り笑いが引き攣ったのが自分で分かった。 「~ま、待てキャス! 落ち着けっ」 「~そうだ早まるな!!」 一斉に彼女を宥めるPTチャットが殺到する。 「ちょwバラエルってwwマジうけるw」 爆笑する裸ナイト。 「~チャンドラーっ、そいつを黙らせろ!」 「~わ、わかった! ちょ、ちょっと待って・・・」 飛び交うPTチャット。 ・・・キャスとて、別にバラエルが優秀だと言うつもりはない。 サポに最適なのはエナエルだというのだって認める。 けれど。 自分にだって誇りってものがある。 バラエルだろうが、エナエルだろうが、そんなことは関係ないのだ。 自分の付き合ってきたキャラを、これが自分だと胸を張って言うこと。 それが誇りであり、彼女がMUで重ねてきた歴史だった。 それを目の前の裸ナイトは鼻で笑ったのだ。 全てを否定したどころじゃない。 もっと悪い。 「キャ、キャス。やっぱりわたしが・・・」 表情の変化を見たのだろう、アゲハが慌てて言いかけたが。 「いいえ。いいのよ、アゲハ。あなたは行ってちょうだい」 「で、でも・・・」 「あたしに任せて」 キャスが笑顔で言い切る。 「~ね、ねぇ・・・戻ろっか?」 PTチャットで、おそるおそるジョン。 姿は見えないが、きっと顔色は蒼白だろう。 「~いいから黙ってて」 黙らせた。 「大丈夫よ、インディ。最初のモンスなら一撃だから」 にっこり笑って付け加える。「あたしのAでも」 「・・・」 誰も一言も口を挟まない。 いや、挟めない。 「じゃ、行きましょうか?」 凍りついた笑顔のまま、キャスが戦闘マップへ先導する。 インディが少しでも場の空気を読むことが出来れば、ここで迷うことなくログアウトしたことだろう。 だが、それはインディの能力を超えていた。 「サポよろw」 笑顔を返す。 そして、外へ。 オーケイ。 ちょっと待ってね。 そこを動かないで。 スキルのショートカットを選択、カーソルをインディに合わせる。 キャスは“うっかり”CTRLキーを押し、右クリックでスキルを発動させた。 飛び出す光陰、裸ナイトの足元から襲い掛かる氷の柱。 キャス様の攻撃で正当防衛が成立しました。 一撃死する裸ナイトに、 「あー、ごめんねぇ。スキル、隣りの氷結を間違えて押しちゃった!」 無言で地にかえり、ノリアに強制送還されるインディをよそに押し寄せるPTチャット。 「~GJ!」 「~よくやったb」 「~b」 「~GJ!w」 「~グッジョブ!!b」 このとき、キャスが選挙に立候補すれば当選は確実だっただろう。 〜4〜 その日の夜。 キャスは寝る前にINしたことを悔やむことになった。 ほんの僅かでも予知能力があれば、決してMUにはINしなかっただろうに。 そうすれば、そう・・・きっと甘い夢でも見れたことだろう。 遠く離れた地にいる夫とデートする夢とか。 ただし結婚前の。 キャスはINしてすぐ親友の姿を見つけた。 「シル。まだ起きてたのね」 「言っとくけど、夫婦の神聖な務めを放棄したのは旦那のほうだからね」 あぁ、かわいそうな我が親友。 「あたしだって似たようなものよ。結果的にはね」 「いいえ、同じじゃないわ。・・・あんたはオトコを連れ込む自由がある」 キャスはとびきり不味い果物を頬張ったときの表情で、 「思春期前の長男がいる同じ屋根の下で?」 シルは少し考え、「あらかじめ免疫つけるためって言い訳ができるわね」 「やめてよ! あたしは身持ちのかたい女なの」 「ホルモンが足りないせいで?」 「シル」 「ほら、そんな目で見ない。あなたを心配してあげてるのよ」 「言っとくけど。結婚してからはね、あたしは旦那以外とキスもしたことないんだから」 「確認したいんだけど。それってノロケ? それとも愚痴?」 キャスの目がさらにうろんになる。 だが、にわかに少子化対策委員会の権化と化した友人は 「キャス、あなたってベッドに自信あるほう?」 キャスは黙って肩をすくめ、 「そういう質問をすること自体、あたしを知らないってことよ」 セックスしない生活が悪いとでも? 「あ、そうそう。シル、話は変わるけど・・・」 「わたし、まだ飽きてない」 「変えるの!」 シルは降参のポーズをしてみせて、 「了解。で?」 「もう知ってるかもしれないけど」 「うん」 「アゲハが連れて来・・・」 一瞬でシルの表情が変わる。 そして、「あぁ、アノ」と言いかけ 「悪いよ」 「・・・シル。それ、自分で“悪いよ”って言ったでしょ?」 「でも言いたい内容は伝わったはずよ」 苦笑するしかない。 確かに。 「もう会ったみたいね」 「会った? “会った”どころじゃないわよ」 「ん?」 シルは地獄を見てきた罪人のような表情で、 「サブのWizで一緒に狩りしたの」 「シル! うそでしょ?」 「忌まわしいことに本当。だって、アゲハが一緒にいたもの」 信用しちゃうわよ。 恨みがましい親友の呟きを聞きながら、 「で、どうだった?」 「キャス。あんた、それ冗談で聞いてるんでしょうね?」 正気を疑うと言わんばかりのシル。 「許して。好奇心って、猫を殺すほど強いものなの」 「猫だけじゃなく、友情も殺すかも」 相当ひどかったらしい。 「わたしが運営チームだったら、あいつがINした途端にこう表示させるわね」 「うん?」 「“礼儀を知らないやつは社会に出るな、野性に帰れ”」 あの子に相応しいのはMMOじゃない、森よ。 「それ、あたしも賛成したげる」 「でもね、試した甲斐はあったかもよ」 「正気?」 シルは大げさに両手を広げるジェスチャーをしながら 「次のCCまでの間ずっと一緒にいたのに、ほら今こうして無事」 そして、付け加える。 「もっと驚くことにインディも無事」 掛け値なしの本心から言った。「EXゴル杖で殴り殺すとこだった」 「よく我慢したわ、シル」 海の如く心の広い親友に心から慰めを。 「@みんな、いる?」 「@アゲハ!」 「@あら、こんな時間までキャスがいるなんて珍しい」 笑って、「@嬉しいわ」 「@あたしもよ、アゲハ。あ、そうだ。今朝はごめん」 「@今朝?」 「@聞いたと思うけど、あたしうっかり間違ってインディに氷結かましちゃって」 キャスは心にも無い謝罪を言葉にした。 神よ、許したまえ。 「@仕方がないわよ。悪気があったわけじゃないんでしょ」 アゲハ、それ質問じゃないわよね? だとしたら、もう一度ウソを重ねなきゃいけなくなる。 「@で、集合か?」 これはオポッサムだ。 「@ううん、ただの連絡事項よ。ギルド公示に書いておくけど」 「@良かった。悪いが今PT中でね」 オポッサムは別サバで野良PT中らしい。 「@インディのことなんだけど」 「@そりゃ悪い知らせだ」 「@もう! 茶化さないで」 「@へぇへ」 多分、茶化したんじゃなくて本心よ。アゲハ。 ギルチャで忠告しておこうかと迷ったが、やめておく。 「@彼もギルドに入れるレベルになったから・・・」 「@あら、良かった!」 助かった。 それならどこか良いギルドに行ってくれるだろう。 インディに合った。 シルには悪いが、犠牲は最小限で済んだ。 今日一日は不幸な日だったが、日はまた昇る。 後に“インディの日”として揶揄したインディペンデンス・ディと呼ばれることになる日、ギルマスは最後に爆弾を落とした。 「@だから、明日からギルメンとして皆よろしくね」 「今、何て言った!?」 「な、なによ、いきなり」 いきなり目の前でわめき出したキャスに親友が慌てる。 「あ、ごめん。ギルチャのつもりだったの」 「ドンマイ。よくあることよ」 そうね。 でもギルチャの内容はよくあることじゃないの。 「@アゲハ! 今あなた、何て言ったの?」 「@え?」 「@ギルメンとして、って・・・つまり、その」 ウソでしょう? ウソよね? ウソだと言って。 「@ええ、インディ」 「@インディ・・・」 「@そう、インディ」 「悪夢だわ・・・」 またオープンチャットに誤爆したが、そんなことはどうでも良かった。 「悪夢?」 もはやシルに返事をする気力も無い。 神さま、こう見えてあたしって根は良いやつなんです。 本当、悪人じゃない。 だから助けて。 ウソだと言ってください。 どうかそんな目に遭わせないで。 あんまりです。 あたしが何をしたっていうの? アノ、あのインディが同じギルメンになるなんて、そんなのって・・・ひどい。 〜5〜 キャスが次にINしたのは二日後の夜だった。 理由は単に忙しかったからだが、実際には潜在意識の奥底でインディのことがあったせいかも知れない。 「あら、夜からINなんて珍しいわね」 「シル、こんばんは。調子は?」 「まぁまぁね」 偶然に出迎えるようなタイミングで出会った親友に挨拶を返す。 だが、キャスを出迎えたのは親友だけではなかった。 「@みんなに知らせておくことがあるわ」 アゲハだ。 心なしか声色が暗い気がする。 「ごめん、アゲハからギルチャだわ」 「あら」 「何かしら・・・なんだか沈んでるみたい」 再びギルチャに意識を戻す。 「@どした?」 「@何かあったのか?」 他のギルメンもアゲハの口調に気づいたらしい。 「@実はね。今朝のことなんだけど」 ええ。 キャスも耳を澄ます。 「@インディがPKされたの」 身を乗り出した。 それは他のギルメンも同じだったらしく、ギルチャが殺到する。 「@どこで?」 「@なんで?」 「@何のために?」 「@お礼の手紙は誰に出せばいい?」 「@キャス!」 アゲハが叫ぶように咎める。 「@ごめん。でも・・・なんていうか・・・」 なんていうか、もう嬉しくて。 「キャス?」 「あ、え、何? ごめん、ギルチャに意識いってた」 シルが感心したように、 「あんた見てると退屈しないわ」 「へ?」 「百面相してたわよ、今」 顔に出てたらしい。 「シル、ギルチャの内容を聞いたら納得するわよ。大ニュースなんだから」 心して聞いて。 「なによ?」 「インディがPKされた!」 「・・・」 「・・・シル?」 期待に反して、反応が無い。 親友は無表情のまま、「ちょっと待ってて」と言い、倉庫に向かった。 「?」 やがて、倉庫から戻ってきたシルが 「いいわ。もう一度言ってちょうだい」 「・・・インディが、PKされたの」 その途端、頭上に上がる閃光と爆音。 花火だ。 「イベ後も残しといた甲斐があったわ。最高!」 どうやら倉庫に残してあった花火を取りに行っていたらしい。 一方で、ギルチャのほうも似たような騒ぎだった。 アゲハの手前、おざなりに気遣う声もあったが・・・客観的に言って、喜んでるのか悲しんでるのか微妙といったところ。 ひとしきり盛り上がった後、シルが聞いた。 「ねぇ、キャス」 「なに?」 「花火もう一個あるんだけど、もう一度聞いてもいい?」 そんなに嫌いですか、インディのこと。 まぁ気持ちは分かる。 だが、やっぱりPKはPKとして・・・なんというか、良くないことではあるはずだ。 「あたしの中にも喜んでる気持ちはある。それは認めるわ」 「でしょ」 「でもさ、やっぱりあんまり喜ぶのも不謹慎っていうか・・・」 あのインディにさえ、どこか良いところはあるはずだ。 たまたまキャスには、そしてギルメンの全員には見つけられなかったが。 「キャス! いつから博愛主義者になっちゃったわけ!?」 どうやら親友は心底、インディが嫌いらしい。 シルは嫌いに分類した人間にはとことんきつい。 そして、一度“嫌い”に分類されたら最後、その変更はまず無い。 「オーケイ。喜ぶなとは言わない。でも、何度聞いても内容は同じよ?」 「みんなに聞いてごらんなさい、キャス」 シルは花火をスタンバイしながら言った。 「何度聞いても良いニュースだって言うに決まってる」 〜6〜 「いいか、みんな。巨乳は海神ネプチューンよりも多くの男を溺れさせた」 「・・・ジョーイ、相変わらずね」 「あぁ。俺はいつも元気さ」 そして、爽やかな笑顔で「NO OPPAI, NO LIFE」と訳の分からないことを言いつつ親指を立ててみせる。 そんな彼の救いようの無いおつむは皆から愛されている。 「あなたはビョーキよ、ジョーイ」 苦笑しながら言ってやる。 「キャス。きみの胸がもう2サイズ上だったら、俺を診察する権利がある」 「精霊装備を着たら、それくらいアップするわよ。ほら、手首出して。診察したげる」 大人しく右腕を出すジョーイの手首に指を当て、しばらくを脈を探った後、 「手遅れね。脈が無いわ・・・人生に」 そんな、ギルド“ワラビー”のいつも通りの光景。 インディのPK事件はあっけなく解決し、それから一週間ほどが過ぎていた。 一応言っておくと、インディの自業自得だった。 野良でドロップ品の持ち逃げ、態度と口の悪さ等々で恨みを買っていたらしい。 おまけに、呆れたことに他の初心者を見つけてはPK行為までしていた。 自分でPKを繰り返しておいて、自分がやられたら被害者面は無いだろう。 結局、インディは“ワラビー”を去ることになった。 ギルメン一斉蜂起の文句に、アゲハも庇いきれなくなったのだ。 インディがノーマナーをするたびに、アゲハなりに注意指導をしていたのだが・・・肝心の本人に聞く気がなければ無意味な努力だ。 馬の耳に念仏、豚に真珠、インディの脳みそに説教。 「ねぇ、アゲハ?」 二人きりになったとき、キャスは聞いてみた。 「なに?」 「あなた、なんでインディなんかを庇おうとしたわけ?」 アゲハの面倒見が良い人柄は知っている。 厚かましさに付け込まれる善性も。 だが、インディは明らかに“触らぬカミになんとやら”だ。 「彼もね、決して悪いとこだけの人じゃないのよ・・・リアルでは」 「! インディって、アゲハのリアル知り合いだったの!?」 驚いた。 だが、それなら分かる。 MUで出会っただけなら、いくらアゲハでも自分から関わりたいと思う相手ではないはずだ。 インディはそれだけの逸材である。 もちろん悪い意味で。 「まさか・・・つ、付き合ってるとか?」 おそるおそる聞いてみる。 ここまで行くと好奇心でしかない。 だが、キャスは好奇心が持病だと自覚している。 悪癖だが、こればっかりはどうしようもない。 「それこそ“まさか!”よ」 アゲハが笑う。 だが、そのままの調子で彼女は爆弾を落とした。 「ただのクラスメイト」 「・・・え?」 「え、なに? やだ。わたし変なこと言った?」 耳を疑うキャスに慌てるアゲハ。 「く、クラスメイト・・・?」 「ええ。そうよ?」 うそでしょ! そんな、まさか・・・だって、それじゃあ? 「アゲハ、あなたって・・・大学生とか?」 「ううん、まだ高校生よ。二年」 「!!」 わーお。 信じられない。 キャスはずっと、アゲハは同年代だと思っていた。 いや、若いかもしれないとは思っていたが・・・まさか、高校生だなんて。 「あ・・・キャス、ひょっとして年上? わたし、失礼な態度だったかしら」 アゲハは慌てて、「気を悪くしていたなら、ごめんなさい」と謝る。 「そ、そんなことないわよ」 そう、彼女が謝ることは何も無い。 むしろ、自分より彼女のほうがよっぽど人間が出来てると思っていたのに。 キャスはかろうじて返事を返した。 「年上といえば、年上・・・かな。そう、少しだけ」 少し・・・干支の十二支、一週と半分くらい。 「信じられない!」 興奮したままでキャスが叫ぶ。 「落ち着きなさい。なにもアゲハが嘘ついてたとかじゃないんでしょ?」 「そ、そうだけど・・・」 宥めるシルに、 「でも、高校生よ? 高校生!」 「キャス・・・繰り返さないで」 「シル。あんた自分が高校生だった頃なんて憶えてる?」 「あぁ、もう!」 自分より、子供のほうに年が近い。 長男とたかだか5年かそこらしか変わらない。 一方、 「わたしたちとの差は20近く」 「・・・15にも近いわよ」 「どっちもどっちよ」 弱々しい反論を、シルは苦笑しながら切り捨てた。 「落ち着きなさいよ、もう」 呆れたように言う。 「だって、シル! あたし、アゲハのほうが年上かもなんて思ってたのよ」 「理由は?」 「落ち着いてるし、人間出来てるし・・・」 言ってて情けなくなってくる。 倍ほども違う年下の・・・しかも、悪名高い“最近の女子高生”に! うわぉ、うわお。 「そうね、彼女は立派な人間だわ。でも、あなたにだって美点はあるし、彼女にだって欠点はある」 「欠点?」 「ほら、アノ悪癖」 「あぁ・・・」 間違いなく“変人”に分類されるに足るアゲハの悪癖を思い出し、キャスは納得しかけたが 「ダメ! ダメよっ」 「なに、どうしたの」 「劣等感をごまかすのに欠点につけこむなんてフェアじゃない!」 「あぁ、もう!」 シルは宙を仰いだ後、 「キャス、いい? MMOでリアルの年齢なんか気にしちゃダメよ」 相手は50歳かもしれないし、小学生かもしれない。 ネットというのはそういうものだ。 「わかってる。わかってるわよ・・・そう、あたしは今、ちょっと混乱してるだけ」 「ショックで」 「そう、ショックで」 自分で自分に言い聞かせ、落ち着こうとする。 と、そこにジョーイが通りかかった。 「いよぉ、お二人さん」 「あら、ジョーイ。久しぶりね」 「シル、きみは相変わらず綺麗だ」 「ジョーイ、あなたは相変わらず失礼ね? わたしの顔はもう少し上よ」 シルも慣れたもので、苦笑しながら呆れたように相手をしている。 「これは失礼」 憎めないおどけた表情で笑い、だがシルの胸に向かってお辞儀してみせるジョーイ。 黙っていれば爽やかなハンサムで通るのに。 「ねぇ、ジョーイ」 キャスがまだ立ち直りきれてない様子で声をかけた。 「なんだい?」 「あなた、ひょっとして本当はリアルですっごく若かったりする?」 ジョーイは少し戸惑ったように、 「すっごくって、どのくらい?」 「そう、たとえば・・・いえ、いいわ」 「なんだよ、気になるじゃないか」 「それじゃ・・・そうね、未成年?」 「いいや、成人式はとっくの昔にした」 それが? そう言わんばかりのジョーイに、 「良かった。ごめんなさい、なんでもないの」 納得していないようだったので、キャスは付け加えた。 「おっぱいのことしか話さないから、赤ん坊だったらどうしようって心配になっただけ」 「あぁ、ありうる」 と、これはシル。 だが、ジョーイは全く動じずに言い放った。 「俺の辞書には巨乳の二文字しかない」 少しして、シルがとても申し訳なさそうにツッコミを入れた。 「それは辞書じゃないわ」
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