短編小説っぽいもの
うんうんさま。 --
本編
『うんうんさま。』
この心を何にたとえよう? 水面のように穏やかな、この心。 小波すらおきない湖面のような、この心。 たとえようもない、色無き心よ。 なんて・・・つまらない。 そは我が水の精なれば。 ビスク東にある酒場で、一人の老人が語っています。 美しい水の精と青年の、報われなかった悲恋の物語を。 その血塗られた結末を。 けれど、哀しい物語はいまも終わっていません。 ですから、冒険者よ。 当事者のはしくれとして、私も語りましょう。 これはあなたがたへの、私からの嘆願の物語。 老人は言います。 “そう遠くない昔・・・美しい水の精に恋した青年がいた”と。 その通り。 “元より、許されぬ恋路。” その通り。 “ふたりは人の目を避けるようにして、会っていた・・・。” その通り。 あぁ、待って。 少し待って下さい。 違いました。 老人は“恋路”と言いました。 あれは今にして思えばそうかもしれないけれど、それは正確ではない気がします。 少なくとも、水の精にとっては・・・ね。 あなたがたは水の精というものを見たことがありますか? 無垢なままの、川が流れるように戯れる水の精たちを見たことが? 彼女たちは・・・そう、透明なのです。 身も、心も。 水の精たちはたしかに美しいけれど、感情と呼べるほどの心はありません。 ただただ、まさに水のように日々を流れ、戯れるだけの存在。 そのはずでした。 嗚呼。 すべての水の精がそうであれば、カオス・ウンディーネの伝説などは生まれなかったでしょうに。 一人の水の娘がいました。 彼女は“色つき”でした。 色と言っても、あなたたちが思うほどの色ではありませんよ? はっきり分かるほどの色なら、それはもう水の精とは呼べませんものね。 うっすらとした、光の加減でわずかに気づくほどの色。 透明な水の精たちにとって、それは濁りだったのですけれど、あなたがたにとってはそれもまた美しいと映るのでしょう。 あの青年にとっても、そうでした。 青年はそのわずかな、あまりにもわずかな・・・彼だけが知る色に魅せられてしまったのかもしれない。 彼は彼女に心奪われました。 かすかに濁った水の娘に恋をした。 青年は彼女のもとに通うようになります。 物言わぬ水の娘のところに、毎日のように通った。 青年は彼女に話しかけ、笑いかけ、贈り物をします。 そのたび、青年の目には彼女が微笑ったように見えるのでした。 もちろん、それは錯覚なのですけれど。 水の精たちに表情を浮かべるほどの感情はありませんからね。 ただ、人は水面に自分を見るのです。 笑う人は笑顔を見、悲しむ人は泣き顔を見るでしょう。 それを通じ合ったと思ったり、共感したなんて思うのは人の勝手な誤解なのですよ? 青年は愛しいひとに逢えた笑顔で、喜びを期待して贈り物をし、彼女を見た。 そんなとき、水の精は微笑んで見えるでしょうね。 水の精と人間の恋物語はまれに聞きますけれど、それらは基本的に一方的なものなのです。 だって、水の精に恋するほどの感情はありませんからね。 彼女たちの心は本当に水のような、ただただひろがる心なのです。 けれど、彼女たちの中にも奇跡のような例外が生まれることがある。 それが“色つき”。 あなたがたが感情と呼ぶほど激しいものではないけれど、風で水面にかすかな波が起きるような心の動きをもった水の精。 気づかぬほどに濁った水の娘。 だからか・・・彼女のほうにとっても青年は特別であったことも確かです。 彼女は不思議でした。 この青年が。 人間と呼ばれる彼らの存在は知っていました。 けれど、それはいわば風景の一部であって、なんら特別な存在ではありませんでした。 せいぜいが、あなたがたが空を見上げて鳥を見る程度の認識といったところ。 あぁ、鳥がいる。 そう思うだけ、その程度のこと。 ほとんどすべての水の精にとってはそうなのです。 けれど、“色つき”の彼女にとっては違った。 彼女にとって、青年は不思議のかたまりでした。 わずかに心さざめく程度の、ですけれどね。 水の精たちの棲む洞窟の近くで釣りをし、魚を持ち帰っていく人間という生き物。 青年はその間に歓声を上げて喜び、空を仰いで嘆息し、おだやかに木々の葉を眺めたりする。 その目まぐるしく変わる表情ときたら! 水の精たちの世界に無い、その変化のかたまりは彼女にとって特別でした。 なぜ? あの生き物は、なんであんなに目まぐるしいのだろう! 何事にも表情が変化するなんて、己の内に御しきれない荒馬を飼っているようなものです。 そのくせ、ときに退屈するほどおだやかであったりもするのです。 なんという混沌、なんていう不思議! 青年が自分に気づき、呆然として植物のようになってしまったときも不思議でした。 彼が自分に語りかけてくる言葉に興味はなかったけれど、青年の表情を見ているのはとても心地よかった。 あなたたちは自分で気づかないのでしょうけれど、まるで万華鏡のようなものなのですよ! 水の精に老いはありません。 だから老いるというのは変化でしかなく、それで興味がうすれるということは起こらない。 あなたがたは老いるとその忌まわしい思いからか、老いた相手を疎んじるようですけれど。 それはきっと、老いというもの自体に既にして負の印象を刻み込んでいるからなのでしょう。 けれど水の精にはそれがない。 だから。 あのままであれば、それは最後まで幸せな物語で済んだはずなのです。 激しさは一方的であって、片方はひどくつたなく幼いものであっても・・・あなたがたはそれを美しく語ることができる。 そうでしょう? 人間たちよ。 あぁ、人間。 そう。 すべてを壊したのもまた、人間たちでした。 酒場の老人は語る。 “そんな夏の日・・・ぱったりと雨が降らなくなったのだ。” その通り。 “貯水池を確保していなかった当時のビスク人は大混乱に陥った・・・やがて、次々と人が死んでゆく。” その通り。 “狂気にとりつかれた民衆は、水の精たちを標的とした。” 嗚呼。 “「雨を降らせろ!」と怒鳴りながら、斬り殺した・・・” なんて愚かな! そして、なんて・・・なんて人間らしい姿。 “恋人を必死にかばう青年は・・・人々に惨殺された。” そう、そうでした。 “色つき”の彼女の目の前で、青年は死んだのでした。 洞窟が震えるほどの咆哮をあげて、それがやがて悲鳴に変わって、それがやがて消えたのでした。 それでも洞窟は人々の怒号で満たされていて、動かなくなった青年は地に打ち捨てられた。 かすかに濁った水の娘はそれを眺めていました。 彼の表情はいままで見たこともないもので、それはずっとそのままなのです。 不思議。 不思議不思議。 なんで? なんでなんでなんで? “暴徒と化した民衆が彼女を殺そうとした、その時。” 目の前に人間たちが迫ってきても、彼女はただ青年だったものを眺めているだけでした。 そして、青年を殴り、斬りつけ、潰し、千切ったそれらが彼女の身に触れかける刹那。 洞窟の入口の方で、声が。 たくさんの声が。 “遅すぎる雨が・・・ようやく人々の頬を濡らし始めた・・・” 逃げるでもない彼女の前で、彼らの表情は一変しました。 “喜びに泣き叫び人たち・・・。大地が雨で満たされる。” 怒号は歓喜に変わり、怒りや憎しみは彼らの顔から消えうせました。 あとかたもなく。 なんて、不思議。 下に目をやると、青年の顔が見えました。 けれど、その表情はまったく変わっていなくて。 不思議! 不思議、不思議! なんで? なんでなんで? “が、彼女の怒りと哀しみは、収まらなかった・・・。” 違うっ。 そうじゃない。 違うのですよ、酒場の老人よ。 あなたは人間だから、そう思ったのですね。 そうあって欲しいと願ったのか、そうであるべきだと断じたからか。 けれど、それは間違いなのですよ。 彼女はただ、眺めていました。 青年のかたわらに、人間がいました。 すがりつくようにして泣いていました。 叩きつけるようにして叫んでいました。 それらを眺めながら、かすかに濁った水の娘は何を感じていたと思いますか? 不思議。 それは彼女にとって不思議だったけれど、まるでそれは“何かをあの青年に捧げているように”見えました。 あの青年のために泣き、あの青年のために叫んでいる・・・嗚呼。 なんて・・・なんて・・・うらやましい。 そう。 それはたしかに羨望でした。 涙も流れず、慟哭も湧かぬ我が心。 それはなんて・・・なんて・・・この心を何にたとえよう? そして、湧き上がるこの心のうねりを何にたとえよう? “水の精が飲むと凶暴化すると言われている石を飲み込み” それはカオス・ストーン、混沌の石。 ねぇ、あなたがたはこの世で最たる混沌とは何だと思いますか? 多くの人が賛同してくれるでありましょう。 人の心ほど混沌たるものなどありましょうか? 混沌の石は人の心そのもの。 それを飲み込めば・・・ “カオス・ウィンディーネ となり” 混沌の石を飲み込んだ水の娘。 “色つき”はもう、かすかな色ではありませんでした。 うねるほどの色、色、色。 彼女は青年の笑顔を思い出しました。 湧き上がるこの心は、喜び? 彼女は青年を見下ろしました。 湧き上がるこの心は、悲しみ? そして彼女は最後に、洞窟の入口で天を仰ぐ人々に目をやって・・・ この心を何にたとえよう? いまだ名づけられざる、おぞましき感情。 そは我が心が人間なれば。 “そして・・・泣いて喜ぶ民衆を、1人残らず殺したのだ。” 冒険者よ。 あなたがたに頼みたいことは何か、もうお分かりでしょう。 もう時間が、ないのです。 酒場の老人は言う。 “彼女は、人としての心を失いつつあるのだ。” その通り。 けれど、あなたがたは誤解しているかもしれない。 私は言いました。 混沌の石は、人の心そのものであると。 人としての心を失いつつあるというのは、すなわち混沌の石が消えようとしているということ。 人の心は激しくて、ときに驚くほど永いけれど。 それは決して永遠ではない。 いずれ、透明でなくなった水の娘から混沌の石は消えてしまうでしょう。 水の娘はまた、透明になるでしょう。 ただの水の精に戻るでしょう。 感情なき、美しい水の精に。 それはそれで一つの終わり方でしょう。 彼女が涙を流すこともない。 けれど私には、それがとても許せないことのように思える。 とてもやるせないことのように哀しい。 私はとても身勝手なので、あなたがたに身勝手な依頼をしたいのですよ。 彼女のために願うのか、私の心の安寧のために願うのか、それすらも分からない混沌のままに懇願します。 冒険者よ。 私はカオス・ストーン、混沌の石。 お願いです、早く。 私が消えてしまう前に、私ごと彼女に終わりを。 どうか。 哀れな水の娘が己の身を嘆き、青年の死を悲しむことのできる内に。
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