短編小説っぽいもの
おたおたから。 --
本編
・
後書き
『おたおたから。』
〜1〜 「なに・・・モラの秘宝、だと?」 城塞都市ビスクの執務室で、アクセルは部下からの報告に眉をひそめた。 実質的な市政の長である彼の視線の先には、やや興奮気味のラプーチンスが直立不動で立っている。 訓練の見回りの際、熱意を買ってアクセルが引き上げてやった青年である。 新入りではあるが、古参には薄れた勢いと、野心ともいえる功名心がある。 危ういほどの、前へ、上へと進む衝動。 そして、そういう内面をアクセルは嫌いではない。 勢いは上の者が御せばよい話で、逆に動かぬ馬では彼の役に立たない。 そういった駆け上る努力を費やさぬ者に比べれば、その飢えた心は好ましくさえ思える。 椅子に腰掛けたまま、報告を続けよと促す。 「アルケミストギルドの者が鑑定したのですが、どうもモラ族の・・・古代兵器の可能性がある、と」 正確には、古代兵器の可能性“も”ある、だったのだが。 だが、細かいニュアンスは得てして口伝えの中で変わっていくものである。 とはいえ、実際に鑑定を行ったアカデミアンの興奮具合から、それなりに高い可能性を見ていたと思われたのは確かだ。 「具体的にはどのような物なのだ? 使用方法は分かるのか」 アクセルが問う。 これだけでは、飛びつくほどの信頼性のある情報ではないと思えた。 「炎に揺れる影で大きさを見誤ってはならん。私にその推測の信頼性を示せ」 厳しい物言いは常であるが、その眼光に込められた力にラプーチンスは身を震わせた。 少しの怯えと気後れ、そして歓喜。 “キール”が見ている、この俺を。 聞きたがっている、俺の報告を! 彼はこれを自分の報告のもたらす重大性を示す、願ってもない好機を与えられたのだと思った。 それはすなわち、自分の価値を示す機会ということだ。 目の前に扉があると感じた。 その奥には、上へと駆け上がる階段が待っているだろう。 扉を開ける鍵を手にするため、ラプーチンスは口を開いた。 「古代兵器であるという確証はまだ無いようです。ですが、鑑定を行ったアカデミアンがモラ族の者に見せたところ・・・」 唾を飲み込み、軽く咳払いをして「これは古代モラ族の重大な宝、と」。 これを聞き、アクセルはそのアカデミアンの軽率さに忌々しく舌打ちした。 もし強大な古代兵器であった場合、モラ族が自分たちの武器だと素直に言うだろうか。 仮に兵器であったとしても、それを我々が発見したということをモラ族に知らせるような行動を取るとは! やはり、アルケミストギルドの連中は信頼に足らない。 特に彼らの末端の学者連中は。 自分たちの知識はもったいぶるくせに、ある種の危機意識が致命的に欠けている。 浮世離れした彼らは、モラ族をしばしば知識を語り合う友人のように誤解しているのだ。 だが、それは間違いだ。 このダイアロス島は戦場であり、自分たちは侵略者なのだ。 そう、アクセルは自分たちが侵略者であることを自覚している。 何のために来たかを理解しており、何をしたかを自覚しているからだ。 神の教えだのなんだのを言い訳に逃避している神官どもなど、彼から見れば唾棄すべき連中である。 人は己の血肉とするために食い、生きる。 戦争も侵略もその延長に過ぎない、ただの自然の姿だ。 欲するものがあったから、傷つけ、奪ったのだ。 自分たちが血を流し、命を投げ出したのは、断じて神の教えなどのためではない。 武勲を誇るということは、それらを得た自分の行為の責任を引き受けるということでもある。 何をしたがゆえに何を得たのか。 それは純粋に己の中にあるとアクセルは思っている。 他者に与えられるものでも、判断してもらうものでもない。 己で掴み、もぎ取ることで生まれる果実だ。 大陸で命令を与えられた。 それは事実だ。 だが、その命令を果たすことによって得るもの、それに自分が魅せられたゆえに彼は選択したのだ。 追放されたエルガディンの身内の者が罪を問えば、彼は堂々とそれに答えるだろう。 その責任は自分にあり、それゆえに今の自分は“キール”という称号を得た指導者なのだと。 人を殺すだけ殺しておいて、それは神様のためでしたなどと吐ける神官のことを、彼は薄気味悪く思うことさえある。 我欲を否定し、だがその結果の恩恵は手にし、なぜ何食わぬ顔で微笑んでいられるのだろう? その微笑が邪悪でなく、優しげであるがゆえに彼は嫌悪する。 自分がそんな理屈を振りかざせば、彼は自分自身から逃げ出すために路地裏へと身を隠すだろう。 それは負け犬という名の、魂の死だ。 欲するが故に行動し、それが罪であっても隠しなどしない。 隠すくらいなら最初からすまい。 成した以上は、それが自分である。 見えぬ神へなすりつけや、正当化や自己弁護など必要ない。 「そのモラ族の者は捕らえてあるのか?」 問う。 「は?」 「・・・いや、いい」 期待はしていない問いだった。 目の前の青年を促す。 「その後、モラ族の者は“それ”を自分たちに返すように要求したそうです」 「ほぅ」 少し気を引かれた。 「あからさまに熱心ではありませんでしたが、確かに執着する様子を感じた・・・と」 「ふぅむ」 これはどう見るべきか。 そのモラ族の者が強硬に返却を主張したところで逆効果であったろう。 それは容易に推測できることだ。 本音を隠そうとした結果の様子か、さにあらずか。 アクセルは思考を一度止めた。 (・・・推測の域を出る答えが見つかるものではない、か) 可能性に配慮し、手を打つしかないだろう。 「それはまだアルケミストギルドにあるのか? 所有権はやつらか」 所有権といっても、法的な意味ではない。 物理的に誰が持っているのか、だ。 「はい。ただ、発見者は市井の者で、武閃にも所属しているハンターです」 トレジャーハンター。 廃墟を巡り、渓谷を踏破し、埋もれた知識と遺産を掘り起こす者たち。 「ほぅ。・・・悪くは無いな」 物理的に手に出来れば一番だが、そのために言葉遊びが必要なら、それに役立つ要素は好ましい。 外交的手腕に長けた人選を脳裏で巡らせ、アルケミストギルドとの交渉に当たらせる者を決めた。 そして、 「ラプーチンス」 「はっ!!」 名前を呼ばれ、心持ち紅潮した様子で返事をする。 憧れの存在に名前を呼ばれることは非常な快感だ。 「お前が必要と思う人数を使い、監視せよ。機会があれば・・・盗み出しても構わん」 青年はその発言に驚いたようだったが、すぐに理解し、それだけの価値を秘める物の情報を持ってきた自分に興奮した。 「争いは避けよ。だが、証拠を残すなとまでは言わん。あまりに緩い警戒で不安になったため、保護したとでも言えばいい」 アクセルは薄く笑う。 冗談のような口調の、冗談ではない言葉。 執務室を辞する際、ラプーチンスが思い出したように報告した。 古代モラ族の宝とやらについて。 「大きさはごく小さなものです。しかも軽い。つまり・・・女子供にも扱えます」 それを聞いたアクセルの表情を確認し、青年は満足した様子で誇らしげに執務室から出て行った。 一人になった部屋の中で、アクセルは薄く笑う。 携帯できるほどの兵器、それはいい。 彼は自分を鍛え、強くなることを奨励しているが、肉体的に強いものしか好まないわけではない。 それは手段にしか過ぎない。 一番裏切らない、確実な手段というだけだ。 だが、それが出来ない者もいる。 力弱き女や病弱な者、彼らには生きる価値が無いのか。 そんなことは決して思わない。 むしろ、逆だ。 弱いからこそ、強くならねばならないのだ。 強くなってくれと願いさえする。 自分が祈りなどというものをするとしたら、それだけだ。 アクセルは貴族ではない。 支配する側でなく、支配される側だった。 ただ、そこに身を置き続けることを厭い、這い上がった。 そのために己を鍛え、相手に非があるかなど関係なく他者を倒してきた。 彼は這い上がる者が好きだ。 その魂が好きだ。 携帯できるほどの兵器を手に力を得、這い上がったなら・・・その者もまた、彼の誇らしい同胞である。 手段は問わぬ。 這い上がれ。 血塗られた姿の何が悪い。 這い上がれ。 立ち上がった自分を誇るために。 己が欲したことのため、己の成したことを堂々と自覚し、その結果である己を誇れ。 彼は民衆の胸を叩く。 その魂の頬を打つ。 彼らの影の襟首を掴み、引き上げ、渾身の力で揺さぶろう。 あがくという希望を捨てないでくれ、お前たち。 諦めを受け入れたとき、アクセルは初めてその者を見捨てるだろう。 薄汚れた、だが確かに息づく生活のある路地裏で、貧民街で、そこに住む者たちに 「お前の運命はそれだ」 と口にする者があらば・・・彼は決してそれを許すまい。 それがたとえ、ドラキア帝国の皇帝であろうとも。 〜2〜 ここはアルケミストギルド、アルケィナ。 といっても、ラスレオ大聖堂ではない。 祈りの場といった側面の強いそれに比べ、ここ魔法研究所は探求の場として性質が色濃い建物である。 敷地内では触媒や、魔法書ともいえるノアピースの提供も行っている。 もっとも、提供とはいってもいくばくかの寄付金と引き換えではあるのだが。 そして、そういった外との交流のある区画の奥、そのエリアにこそ魔法研究所としての真の顔がある。 そこまで入れるのはアルケィナの中でも上級者、あるいは研究に携わる限られたアカデミアンたちだけだ。 この島特有の魔力が刻まれた石を解析し、その謎を解き明かす。 力を解放する鍵としたとき、それはノアピースと呼ばれるようになる。 大いなる力、ノアの欠片。 彼らは日々、謎の探求と、秘石の解析に没頭しているのだ。 そんな魔法研究所の一室に、三人の男女の姿がある。 無論、研究者だ。 「これ、ツイスターの配列に少し似てませんかね?」 そう言ったのは三人の中で一番若いと思われる青年である。 隣りの机で報告書を書いている先輩の肩を叩き、嫌そうな顔をされていることには気づいていないらしい。 単に気にしていないだけかもしれないが。 だがまぁ、研究者は概して礼儀に欠けている人間が多いので、まだ彼はマシな部類である。 むしろ、その叩かれた先輩の方が同僚たちからは無礼者と思われている。 素面で年長者も平気で呼び捨てにする男だ。 「・・・どこらへんを見て言ってるんだ、お前」 呆れたように言う。 「いや規模は全く違いますけど、ほら、この並びが。あぁ、リトルツイスターっていえば良かったな」 ほらほら、と言わんばかりに指差してアピールする青年。 先輩の方は顎の無精髭を撫でながら、 「ふぅむ。・・・傾向として、風の属性に関わる要素がある可能性はあるな」 研究者としての能力はあるのだ。 私情を挟むのも仕事をサボりたがるときだけで、たとえ心底嫌いな相手の意見でも耳は傾ける。 人間が出来ているともいえる反面、社会的にどうかと思われる男だ。 「でしょ!?」 「微妙だけどな」 「・・・ちぇ」 そして先輩の男の方が「あー、ハナコさん、ハナコさん」と、向いの机でフラスコを揺らしている女に声をかけた。 「ヤマダさん・・・あたしの名前はハンナコッタです。妙な略仕方はしないでください」 毎度の事ながら、その綺麗な眉を険悪に寄せて抗議する。 その知的な眼鏡の奥から睨む眼光は、上司をも壁際に張り付かせる迫力がある。 が、目の前の男には通じないようだった。 「いいじゃないの、ハナコさんで」 「イ・ヤ・で・す」 一語ずつ、くっきりはっきり、渾身の力を込めて言う。 魔力がこもってそうなほどで、彼女のしなやかな指に支えられたフラスコからの何かアナーキーな煙が、物騒な演出効果を高めている。 無精髭の男が大袈裟に肩をすくめ、傍らの青年に「ハナコって響き、いいよな?」などと性懲りもなく聞く。 もちろん、青年の方は無言で石を研究するフリを続けたが。 「・・・で?」 「あ?」 「だからっ。あたしに何か用が!?」 かつて大神官ミストに直接声をかけられたときも揺るがなかった冷静沈着な彼女だが、この無精髭の男といるときは理性が薄弱になる傾向がみられる。 本人曰く、魂の底からソリが合わないのだそうだ。 だから二人にしないで、自分を抑える自身がないから。 そう後輩の青年に冗談と思えない口調で言ったことさえある。 この人でもソリが合わないなんて表現をするんだなと、後輩の青年は面白く思ったものだが。 何にせよ、この二人のやりとりに手を出すのは御免だ。 「あ、そうそう。重大この上ない、深刻な頼みがあるんだ。聞いてくれ」 無精髭が珍しく真剣な表情で言う。 「・・・何です? あたしにできることならお聞きしますけど」 ヤマダ・・・これは本名だが、彼は重々しく頷き、「すまん。ありがとう」と口にした。 「え? あ、いえ・・・そ、それより! 何ですか、その頼みって」 余りにも珍しく、予想外の無精髭男の様子に動揺しながら彼女が聞く。 ちょっと顔が赤い。 いつもは中断しない実験を置き、フラスコを机の上に戻しかけ・・・ 「この報告書、俺の代わりに書いといてくれないかな」 その半端な姿勢で固まった。 「・・・は?」 「これ書き上げないと給料減らされるんだよ。今月の俺の生活に関わる大問題、深刻。でもさぁ、これ面倒で・・・ハナコさん、こういうの得意でしょ」 給料? 今月の生活? ていうか、面倒??? ていうかていうかハナコさ・・・んっ・・・ 「・・・」 どこにそれだけの握力があったのか、厚みのあるフラスコが彼女の手の中で砕け散り、中の液体が机の表面でジュージューと危険な音を立てた。 濡れた彼女の指を見る限り、人体には影響がなさそうだが。 パクパクと口を開け閉めし、激昂の余り酸欠状態になった彼女の目には涙さえ浮かんでいる。 「あ、やばい」 言葉と裏腹な様子で呟くヤマダ。 繰り返すが本名だ。 すわ、12日間戦争の再来かと思われる惨状が繰り広げられる寸前、部屋の扉をノックする音がした。 後輩の青年が瞬時に立ち上がり、扉に向かう。 逃げ出すかのように扉にすがりついた、といったほうが正確な勢いで。 「はい! 何でしょう!?」 ばっと扉を開け放ち、あわよくばそのまま外へ駆け出さんばかりの様子で応対する。 ところが、目の前には・・・壁? 「・・・ビスク警備隊のラプーチンスだ」 でかい。 大柄で屈強な男が戸口に立っていた。 よく見れば、兜の角が上にひっかかっている。 こちらに入ってくるには、身を屈まないといけないだろう。 外に出るのは諦めるしかなさそうだと思いながら、青年はもう一度聞く。 「あの、何の御用でしょう?」 だが、目の前の男が返事をする前に、後ろから押しのけられた。 「どいて」 その声がハンナコッタだと認識した瞬間、青年は電流に触れたように飛びのいて道をあけた。 百鬼夜行を見送るように、彼女が通り過ぎるのを横目に見る。 直視はしない。 できない。 息もするな。 気づかれる・・・そんな意味不明な思いに駆られながら。 その迫力にさすがに気おされたのだろう、ラプーチンスと名乗った大男も慌ててよけている。 彼女の後姿が見えなくなってから、大男がぽつりと「物凄い美人だな」と呟いた。 美人に物凄いという形容はあまりつけないと思うのだが、他に言いようがなかったようだ。 それに、他の言葉を捜せば、どれも不思議と物騒な響きになるような気もした。 「・・・あ、えぇっと」 しばらく経ってから、青年が口を開いた。 その様子は、水面から飛び出して息をする様子にも少し似ていたが。 大男、ラプーチンスも我に返ったのだろう、咳払いをしてから 「ジョン・カントリーマァムはいるか」 と聞いた。 さっきの女だったらイヤだな、と少し思いながら。 ジョンという名前からは性別が分からない。 「あ、それ僕です」 青年が答えるのを聞いて、ラプーチンスはあからさまに安心したようだったが、すぐに居住まいを正した。 睨みつけてくる。 「お前か」 「は、はい」 なんでこんなに威圧的なんだよ、この人。 と思いながらも、絶対確実に腕力では敵わないので、素直に返事をしておく。 ひゃい、と声が裏返らなかっただけでも自分を褒めてやりたい。 まるで仇を見るような目を自分に向けるラプーチンスとやらを見ながら思う。 恨まれるような憶えはまったく無い、つもりなのだが。 「アレの話を聞きたい」 「はい?」 アレ? アレって、どれ? ジョンは一つ心当たりに思い当たり、いやまさかそんなと自分でその可能性を否定した。 さすがにそれは、ない。 その様子に業を煮やしたか、 「お前が鑑定したモラ族の秘宝のことだ!」 と怒鳴る。 予想はしていたが、あまり気長な性質ではなさそうだ。 「あ、あれですか! はいはい、分かります分かります」 安心して力強く頷く。 というか、 「今の今まであれの解析をしてたんですよ」 そう、さっき配列が風の属性にどうたらと話していた石のことだ。 「ここにあるんだな?」 確認するように言うラプーチンスに、「あ、いや・・・」と口ごもる。 「なに、違うのか? 今の今までと言っただろう」 隠すと生命は無い、そう言わんばかりの剣呑な口調。 だけでなく、一歩こっちへ進んできた。 いつの間に部屋に入ったのか、そのツノはもう戸口をくぐってこちら側だ。 ジョンは怯えながらも、自分に言い聞かせる。 (だ、大丈夫だ大丈夫。武器とかは受付で没収されてるは・・・ず・・・え?) 大男の腰にある剣に目が吸い寄せられた。 本物にしか見えない。 なんで? 受付は何してたんだよ、おい。 通すなよ、こんな奴! 「いやいやいやいや! 解析研究してたのは本当ですっ。ただその、レプリカみたいなイメージの複製からですね・・・」 ぶんぶんと首を振りながら、必死で説明する。 本当のことだ。 鑑定を頼まれた謎の石細工は、ほんの少し前にラスレオ大聖堂に送られた。 受け取りに来たのはかなり高位の魔導士だったが、その名前を出そうかと思ったところ、 「そんな訳の分からんことはどうでもいい! アレは今どこにあるんだっ!」 「リャスレオれす!」 叫ぶように答える。 ラプーチンスは眉をひそめ、 「リャス・レオレス? ・・・誰だ、そいつは」 すみません、噛みました。 「ラスレオです」 「・・・」 瞬時に沸騰しかけた怒りを抑えたのか、鼻から息を吐きながらラプーチンスが睨みつけてきた。 (なんだよもう。勘弁してくれよ・・・) 泣きそうなのはジョンの方だ。 あんまりだ。 依頼された物を鑑定しただけなのに。 噛んじゃったのだって、あんたが脅すからじゃないか・・・。 と思っても言えないのだけれども。 「邪魔したな」 あっさりと踵を返す大男を見て、ジョンは安心の余り脱力して床に座り込んだ。 が、最後の最後に振り向いた大男に声をかけられ、蛇に睨まれた蛙のように固まる。 いや、獅子と目が合った小鹿だ。 無理です、ほんと、助けて。 ラプーチンスは最後に確認するように、 「おい、アレは本当にモラの古代兵器なんだな?」 と言う。 「え?」 と呟くジョンに、大男のほうも同じような表情で固まった。 ジョンが床に座り込んだままで、思わず素で言った。 「・・・マジっすか」 「聞いているのはこちらだ!!」 (ひぃっ!?) 怒鳴られ、身を竦ませる。 焦りまくった頭の中で考える。 思い出す。 「あ、そういえば・・・」 アレを取りに来たアルケィナの男は、かなりの上位の魔導士だった。 高齢ではあるが、高名な魔術の使い手だ。 個人的な研究さえ自由に黙認されているほどの。 あんな上級魔導士が出向いて受け渡しなど、通常はありえない。 なんでだ? そうだ、モラ族の人も言ってた。 あれは我々の宝だと。 だから返して欲しいと。 いや、でもそんな? まさか、アレは本当に・・・。 目の前の大男を見上げる。 (こいつの言うこと、本当なのか・・・?) ジョンの表情から察したのだろう、大男は満足そうな、そして獰猛そうな笑みを浮かべて去っていった。 どれくらい時間が経ったろう。 後ろから声をかけられた。 「もう大丈夫か?」 振り返ると、机の後ろから顔半分覗かせている先輩と目が合った。 ジョンは思わず言わずにいられなかった。 「・・・ヤマダさん、役に立たないっすね」 〜3〜 ダイダロス・ダイダリウスは自室で失望していた。 先ほど、自ら出向いて魔法研究所から引き取ってきた石細工を見下ろす。 過剰な期待をしていたわけではないが、モラ族の秘宝と聞いて少し期待していたのは確かだ。 だが。 これが何かはまだ分からないが、自分の研究に役立つものでないのは確かだった。 嘆息する。 そうと分かれば、これを手元に置く必要などない。 誰か他の者に任せよう。 自分には時間が無い。 やらねばならない己の研究があるのだから。 彼はアルケィナでも高名な魔導士で、それゆえかなり自由に自分の研究を行うことが許されていた。 そして、その特権を余すことなく用いて長い長い時間をかけ・・・一つの成果を掴もうとしている。 今回のモラ族の秘宝とやらが、その仕上げをさらに補完する何かであればと思ったが、やはり高望みであったようだ。 まぁいい。 欲張るまい。 もうすぐ・・・ 「ねー、ねー」 ぺちぺち。 かなり後退した彼の額を小さな掌がはたく。 老ダイダリウスの机の上に腰掛けた幼い少女。 大神官ミストに続く天才児などともいわれる、アルケィナ最年少にして有数の魔力を行使できる魔導士の卵。 「やめなさい、ローリーくん」 少女の名前はロリモワールだったが、さすがに愛称がロリは余りにもアレなので、ローリーと呼ばれている。 ちなみに、老ダイダリウスは高名な魔導士ではあったが、必ずしも人望があるというわけではなかった。 その一因がこの愛弟子ロリモワールなのは確かだろう。 ダイダリウス本人は知らないが、若手の間では「ロリコンのペド野郎」とまで陰口を叩かれていたりさえする。 数々の噂も出回っている。 曰く、ホムンクルスで創った幼女を夜な夜な・・・ 曰く、ローリーを自分の愛読書の上に座らせてマニアックな詠唱を・・・ 曰く、生徒は幼女で英才教育専門、10才になると強制的に卒業させるらしい・・・ 真実の柱の間に張り巡らされた想像の蜘蛛の巣、その真偽は誰も知らない。 「だいだい、もうあーきーたー」 素足をばたばたさせるローリー。 彼女はダイダリウス老のことを「だいだい」を呼ぶ。 その愛称(?)をつけたのはローリー自身だろうが、若手の間ではこれもまた「そう呼ばせてニヤけてるらしいぞ、あの変態エロじじい」となる。 彼は嘆息しながら、しかしちょうど良い気分転換にもなるかと思い、少女に使いを頼むことにした。 「ガーナ先生は分かるね? 彼を呼んできてくれないか」 このモラ族の秘宝とやら、さっさと誰かに押し付けてしまおう。 だが、自分に不要とはいえ、さすがに幼い少女に持たせるわけにはいかない。 向こうから取りに来てもらおう。 持っていくのは面倒だし、なにより少し腰が痛い。 ローリーの勉強の方も大丈夫だ。 本人は飽きたと言ったが、実のところ、今手がけている範囲の魔術体系など彼女には退屈なだけだろう。 程度が低すぎて。 あふれんばかりの資質を持っている、この幼い少女。 惜しい。 数十年前であれば、この少女に自分の研究成果を賭けたであろうに。 だが、今ではもうその必要がない。 一月前にそう確信した。 この目の前にいる少女の資質は素晴らしい。 それは間違いない。 だが、しょせんは人の身・・・届かないのだ、魔力の塊ともいえる器となるには。 モラ。 あの神秘的な種族。 今では失われた、古代の彼らの・・・ 「いってきまーす」 ローリーがぱたぱたと外へ出て行った。 老ダイダリウスは椅子に深く腰を沈ませた。 ガーナ導師を呼んでくるまで、半時間といったところか。 だが、すぐにまた彼の私室のドアが開かれた。 「・・・忘れ物かね?」 手元の書物から顔も上げずに聞く。 返事は無かった。 絨毯を踏む足音。 はっと顔を上げた老ダイダリウスの頭部を、容赦の無い衝撃が襲った。 入ってきたのはローリーではなかった。 〜4〜 「はぁい、開いてますよー」 ノックに答えるジョン。 彼の横では、まったく悪びれなた様子もなかったヤマダが、うんうん唸りながら報告書を書いている。 その向いの机に座っているのは、こちらもまた普段と何も変わらない様子のハンナコッタである。 彼女はつい先ほど、何事も無かったように戻ってきた。 ちなみに、この部屋に大男ラプーチンスが訪れてから半日ほど経っている。 「えぇっと・・・ダイダリウスさんはきてない、かな?」 顔を覗かせたのは、いつもラオレス大聖堂で元気な、若きアルケィナの重鎮だった。 もっとも、彼女を見て魔導士ギルドの重鎮と思う人間はそういないだろうが。 「あ、ども。せっかく来てもらったのになんですけど、もう帰りましたよ?」 半日以上も前に。 彼女は顔をしかめ、「・・・また逃げられた」と拗ねたように呟いた。 「逃げられた?」 ちょっと興味を惹かれたように、ハンナコッタが繰り返した。 「それに“また”、なの?」 苦笑しながら聞く。 なんだか妹に話し掛けるお姉ちゃんといった感じだ。 「うん。わざだと思う・・・ねぇ、何度伝言を頼んでも返事なし、で何度尋ねても留守って、もうわざと逃げ回ってるとしか思えないよね?」 彼女は珍しく怒っているらしい。 「そうねぇ」 「二人の関係や、用件の内容によるけどな」 そう横から口を挟んだのはヤマダだ。 「うぅん、というと?」 「そうだな・・・これは例えば、だが」 「はい」 「例えば、だぞ。例えば」 やけに念を押してから、ヤマダが話し出す。 「先月のバザールのときにだな、ある男がビビッときた女と出会ったわけだ」 「ヤマダさん、ビビッときたとか古いですよ」 冷たい声でハンナコッタが突っ込む。 「で、ステージを一緒に見て感想とか言い合ってるうちにだな、意気投合するわけだ」 無視してヤマダは話し続ける気らしい。 「ビスク東の酒場に行って、それなりに盛り上がってさ、で男の方が当然のように奢るわけだよ」 「うんうん」 「で、次回のステージも一緒になんて言いながら、露店で装飾品とか贈ってだな、まぁその日はそれで別れるわけだ」 「贈り物は不要だと思いますけど」 というハンナコッタの指摘はまたも無視された。 「で、待ちに待った次のバザールの日、男は女を待つ。けどな、一向に現れないんだな、これが」 「はぁ」 「現れない。バザールが終わっても現れない。TELしても出ない。でもFLチェックではいるはずなんだよ」 「ふむふむ」 「エリア見てさ、移動してもダメなんだな。その頃には違うとこにいてさ、そのくせTELの返事はないんだよ」 「ははぁ」 ヤマダは無精髭を撫でながら、「これはつまり、あんたは酒代よって意味なわけだ」。 「・・・ヤマダさん。そういう女だけじゃないですから、気を落とさないで」とハンナコッタ。 「ありがとう」 それから、ハンナコッタが彼女を方を向いて、 「ところで、今の例え話、何か役に立ったかしら?」 「いえ、全然」 「そうよね」 「だよな」 「ですよね」 そして訪れる沈黙。 なに、この空気。 「・・・で、何の用だったんだ? あのじーさんに」 「ヤマダさん、少しは敬意を払った言い方を」 「いいって、いいって。あのロリコンジジイだろ」 ヤマダの真価は、この発言を本人の前でもためらわずに言ってのけることだろう。 この場にいなくて運が良かった。 お互いに。 「で、ほんと何の用だったんですか?」 仕方なくジョンが話を進行させる。 「あ、うん。えっとね、ラスレオ大聖堂に育児室を設けるって申請をね」 「育児室?」 「うん。ほら、女性の社会進出とかアルケィナでも、もっとケアすべきだって話が出てるの」 「へぇ?」 まぁ、悪い話ではないかな、とジョンは思う。 実際のところ、魔導士ギルドの育児休暇というのもしばしば物議をかもす種だったりする。 現に、この研究室にもう一人いるはずの女性魔導士は育児休暇中である。 職場復帰の可能性に絡む人材の配置と、それによる研究の進行速度への影響だって、当事者にとってはかなり悩ましい問題だ。 相互にそれなりの理がある。 だが・・・そもそも、 「その話って、なんでダイダリウス先生に?」 素朴な疑問。 確かに老ダイダリウスは高名だが、そういった事柄への決定権を持っているとは思えない。 「それがね、育児室を設ける場合・・・その候補場所がダイダリウスさんの研究室なの」 「あぁ、なるほど」 それを聞き、老ダイダリウスは猛反対したらしい。 研究室を移すという案も、全く聞く耳をもたなかったという。 移動が不可能な研究ならば、その説明を・・・という要請にも応じず、日々逃げ回っているらしい。 一方で、アルケィナとしてもそれを半ば黙認している。 実際に工事を行うとなれば、その予算も必要だからだ。 専門性と質の高い設備を求めた場合、かなりの予算額になってしまうという。 とはいえ、そんなこんなで老ダイダリウスが逃げ回っている間、育児室推進派も指をくわえていたわけではなかった。 武閃ギルドに働きかけ、アルケィナと同時に、武閃ギルドはジオベイ闘技場の中にも育児室をという話を立ち上げたという。 が、武閃のほうでもやはり予算の決裁がなかなか通らないらしい。 となると、これはもう当事者に立ち退きを認めさせ、強引に外堀から埋めてしまおう。 そういう考えが主流になりつつあるのだという。 武閃の方では、あたかも暗殺の刺客の如く“説得者”が派遣され、もはや闘争というべき様相を呈しているのだとか。 ジョンは「なんか・・・地上げ屋みたいだな」と内心思ったが、もちろん口に出すほど愚かではなかった。 「ん? またお客さんかな」 ノックの音。 一日に複数の来客というのは、こういう研究室では珍しい。 「千客万来だな」 そんなことを呟き、珍しくヤマダがドアを開けに行った。 ものぐさな彼にしては珍しい。 しばらくドアのところで来客と話した後、相手を部屋の中に招き入れる。 そして、ジョンに「お前にだ」と紹介した。 「へ?」 誰だろう? とジョンが立ち上がる。 「ご多忙のところ、恐れ入ります」 入ってきた若い女性が一礼する。 顔を上げ、目の前の青年を正面から見つめて微笑んだ。 結構、可愛い。 ちなみに、ジョン青年はなにげにアルケィナの新人女性陣に人気があったりする。 が、 「あぁ、いえいえ。ご苦労様です。何の御用でしょう?」 彼は風当たりは悪くないのに、その方面にはめっきりはっきり頓着しない青年であった。 研究が楽しくて仕方なく、美女との食事より、研究室で石と向き合うことを選んでしまう朴念仁である。 彼の唇は詠唱を紡ぐためにあり、彼の指は遺石を撫でるためにある。 しかし分からないもので、そんなところがまた隠れた魅力になっているらしい。 さらに一部では、無精髭のおっさんヤマダ先輩とやんごとない関係であるという噂まであったりする。 もちろん、実際にはジョン青年にそのケは全くない。 さて来客、この春に大聖堂の廊下ですれ違って以来、ジョン青年に恋してきたティキ・フィランスは 「はい、その・・・これは仕事ではないのですけれど」 そして、寮で同室のシャーリー・シャロンに特訓された成果を今こそ。 少し恥らう仕草、けれどそれを強調させすぎず、30度の角度で斜め下に傾け、伏せた睫毛をアピール。 そして素早く顔を上げ、彼の目をメッセージを込めてロックオン。 目力込めて、らぶらぶビーム。 友人の教えを思い出す。 大切なのは、ムッハー! めぢからよっ。 ちなみにシャーリーは以前、暗使の所属だった。 ・・・ティキさん、恋の相談相手は選びましょう。 だが、普通の相手ならば引いてしまうこの熱烈アピールもジョン青年には通じない。 「はい? 何でしょう」 どこ吹く風ぞ、恋吹雪。 据え膳眺める草食系。 嗚呼。 何故、通じないのかこの想い。 彼女の熱烈な視線を素通しする想いの君よ。 あたかも窓ガラスに恋する太陽光なのか。 そもそも受け止めることがありえないのではという不安を抱かせるジョン青年である。 いや、意思以前に生物学的に。 そんなはずはないのだが。 「立ち話もなんだろ、お茶でも飲んでってもらえばどうだ?」 後ろから声をかけてきたのは無精髭の男、ヤマダ先輩だ。 はっ、まさか。 恋で脳をマヒさせたティキさん、妄想モードが自動点滅。 あの噂は本当だったのでは。 彼女の目には、「あぁ、そうですね」とあっさり答えるジョン青年の挙動さえ疑惑の種に見え始めた。 あぁ、今確かに彼はヤマダ先輩の目を見たわ。 そうなの? そうなのねっ? そういう関係なのね!? 「まー、ゆっくりしていきなよ。ほら、ここ座って座って」 うぐ、その発言はすでに彼の心を捕らえた勝者の余裕ですか。 あわよくば彼女をこそ口説こうと思っているヤマダの言動さえ、彼女には別の意味にしか見えない。 しかし虎穴にいらずんば虎子を得ず。 ジョン青年の近くに少しでもいるため、ヤマダに勧められた椅子に座る。 健気な独り戦争。 恋する女は傭兵です。 闘志をまといて、その身は常に戦場にあり。 不自然にヤマダの近くであることも、「むむ、挑発的な威嚇ですか。宣戦布告というわけですねっ?」となる。 無精髭の好色な視線も、彼女には違った意図にしか見えていないようだ。 その椅子の位置を見て、 「あなたへのお客じゃないのに、なんでそこ勧めるんですか」 と眉根をよせたハンナコッタに、彼女は心の中でエールを贈る。 恋する女は同類に敏感なのか。 そうですよ、ハンナコッタさん。がんば! この無精髭をとっちゃって下さいっ。 ハンナコッタ本人すら自覚していないかもしれない想いを応援する彼女。 一方で、そんな気配は微塵も感じず、何の疑問も感じてない様子で離れたところに座るジョン青年。 さすがに凄くかなしそうな表情で、ティキはただの口実だったはずの用件を切り出した。 「あの、えぇっと・・・ダイダリウス先生に会われましたよね?」 「あ、今日のお昼? うん、ここに研究対象の素材を取りに来られてね」 例の石だ。 やたらごついビスク警備隊の男といい、あれ絡みのお客の多い日だと思いながら、 「あの人が何か?」 「はい、お知らせしておいた方がいいかなって思って・・・」 「うん?」 「ダイダリウス先生、襲われたんです。誰かに思いっきり殴られて、意識を失ってるのを発見されたって」 「えぇっ!?」 なんと。 「知ってました?」 いや、知らない知らない。 思いがけない物騒な話に、皆からの質問が集中する。 「どこで?」 「何のために?」 「命に別状はないの?」 「お礼の手紙は誰に出せばいい?」 おいまて。 皆の視線が集中したのを感じ、なぜか一緒に立ち聞きしていた若きアルケィナの重鎮の少女は 「や、やだなぁ・・・冗談だよっ、冗談! ね?」 うそくさく笑って誤魔化した。 育児室の件で逃げ回っている老ダイダリウスへの恨みは何気に溜まっているらしい。 まぁ、連日アポをすっぽかされて走り回らされれば無理もないが。 おかげで本来の代行業務もおざなりになっているわけであるし。 にっくきあやつに正義の天罰を食らわせた相手にお礼の一筆くらい、と思っても罪はあるまい。 「あ。そういえば・・・」 何か思い出したらしいハンナコッタ女史、 「さっきね、ローリーと会ったんだけど」 「あの天才少女?」 「エロジジイの愛人か」 「ヤマダさん! 不穏当な発言は・・・」 「わぁった、わぁった。で、その我らがアルケィナの誇る天才ロリモワールくんがどうしたって?」 ハンナコッタは「もう」と鼻息荒く、それでも話は続ける。 「老ダイダリウスについて、彼女が言ってたのよ。“あのひとはきっとはめつする”って」 「そりゃあまた・・・穏やかじゃないねぇ、破滅とは」 おやおや、とおどけてみせるヤマダ。 だが、それは若干の強がりが入っていることをこの場の全員が感じ取った。 ロリモワール、百年に一人の逸材とまでいわれる幼い天才。 老ダイダリウスの寵児たる、愛弟子の筆頭。 彼女はしばしば、その無邪気な外見にそぐわない予言めいたことを口にする。 「あの子、ときどき無表情でこわいこと言うんだから・・・しかも」 「それが当たってる」 「・・・ええ」 寒気を感じたように軽く身を震わすと、ハンナコッタは「今回のことを言ってたのかしらね」と呟いた。 「どうだろうな」 「通り魔とかなのかしら? 彼はどこで襲われたの?」 「あ、自分の研究室でらしいです。犯人は分からないけれど、ここから渡されたはずの品が消えてるって・・・」 と言いかけたティキに、「なんだって!?」とジョン青年が色めきたった。 彼にとっては、老ダイダリウスより研究素材のほうが心配なのだろう。 そうあからさまだと、老ダイダリウスに少し同情してしまうが。 身を乗り出してきたジョン青年に、少しどぎまぎしながらティキが答える。 あぁ、こんな表情の彼も素敵。 などと思いながら。 このネタを掴んだ友人に、季節限定ビスクパフェを特大で奢った甲斐があったわ。 「ちなみに命に別状はないそうです」 が、それは誰も聞いていなかった。 「アレはどうなったんだ? まさか壊されたわけじゃ・・・いやいや、あんな貴重な物を・・・でも」 と、ジョン青年などは悩み、 「けっ、しぶといジジイだな」 これは無論、ヤマダだ。 「研究室は別だから、特に見舞金なんかはいいわね」 ハンナコッタ女史まで・・・もし老ダイダリウスが殺害されていても、第一声はきっと「香典は今集めるのかしら」に違いない。 そんな一同に、ティキは話を続ける。 「ビスク警備隊にも捜査の協力要請が出たみたいですよ」 ちなみにこうしている間も、彼女は最も自信のある角度、左斜め28度を維持している。 恋する女は油断せず、常に緊張感を持って戦場に生きているのだ。 そして、ジョン青年はそれをまったく見ていない。 神よ、この者に天罰を。 「それにしても・・・」 口を開きかけたハンナコッタ女史に、やっぱりまだ残っていたアルケィナの若き重鎮が頷き、 「素材が目的だったとしたら、なんでそれを知ってたのかな?」 この研究室から老ダイダリウスのところへ。 数時間前に、アルケィナ内部だけの情報連絡で受け渡しがなされたばかりだったというのに。 〜5〜 それから数日が経った。 その間に、いくつかの変化が起こっていた。 まず、強奪された例の素材がビスク警備隊によって無事に回収された。 だが、犯人は取調べ検証のために警備隊からアルケィナに引き渡される際に、何者かの手引きで逃亡している。 ビスク警備隊によると、現在も鋭意捜索中だという。 また、アルケィナからの引渡し要請に対し、モラ族の秘宝という可能性からくるリスクを鑑み、ビスク警備隊では素材の保管を頑として譲らずに現在に至っている。 分野的にこちらの領分と主張するアルケィナと、まさに正面切って争っているのが現状だ。 いまや矢面に“キール”アクセルまでが乗り出し、例の素材を巡る議論はビスク首脳陣の最優先課題となっている。 そして今、また何度目とも知れぬ会議が始められようとしていた。 ビスク警備隊とアルケィナ、それぞれの重鎮の多くが会議室に勢ぞろいしている。 「かのモラ族の秘宝とまで噂される品だからこそ、その用途と力を解明しなくてはならないのではありませんか」 「然り。そしてそれが出来るのは我々アルケィナをおいて他にない」 「なるほど。しかしながら、あの品は非常に危険な品である可能性が高い」 「なればこそ! 一刻も早く解明をしてだな・・・」 「その危険な品を! 一度むざむざと強盗に奪われたのはアルケィナだ」 「さようさよう。安全保障の観点からも、我らビスク警備隊の厳重な監視下におくことが望ましい」 「ぬっ・・・しかし、それではあれはただの石のままですぞ!」 「確かに。ですから申し上げているではありませんか、アルケィナの者をこちらに派遣すれば良い」 「そうだ。我らビスク警備隊の管理の元、安心して古代兵器の使い方をだな・・・」 「馬鹿な! お前たちは自分たちの戦力として所有したいだけだろうっ」 「戦に使えるものならば、当然ビスク警備隊にあったほうが相応しいと思われるが?」 「何を言うか、あれは私たちの元に持ち込まれた物だ。返して頂きたい!」 「そうだとも! トレジャハンターから我々アルケィナに鑑定を・・・」 「そのトレジャーハンターの所属は我ら武閃ですな」 喧喧諤諤。 結局のところ、最終的な所有権をお互いに譲りたくないのである。 謎の石細工。 モラ族の秘宝。 もし本当に古代兵器であるならば・・・所有することで今後、ビスクでの発言力のバランスに大きなアドバンテージを得ることは間違いない。 ましてや、女子供でも扱えそうな重さと軽さなのだ。 絶大な利用価値がある。 ノアストーンという巨大な力を手にしながら、扱えずにいるアルケィナ。 実質的な戦力にも関わらず現在の発言力の重みに不満を持つ、自負心強きビスク警備隊。 と、“キール”アクセルが口を開いた。 「自分たち?」 ただの一言であれ、彼の言葉はよく通る。 会議室に恫喝されたにも等しき沈黙が降りる。 注目の中、12日間戦争の英雄は 「さきほどアルケィナから、我らが“自分たちの戦力”にする魂胆だという表現があったが」 区切り、全員を眺め渡す。 ビスク警備隊の者は唾を飲み込み、続きを待つ。 アルケィナの者は、ある者は怯んだように状態をそらし、ある者は思わす下を向いた。 「我らビスク警備隊の戦力は、ビスクのための戦力である。すなわち、“我々の戦力”と表現するべきではないか?」 正論であった。 誰もが頷くしかない正論、誰もが建前と思っている正論、それは表立っての反論を封じるには最適である。 このまま所有権はビスク警備隊に帰すかと思われた空気を打破したのは、しかしながら思わぬ第三者であった。 議論中であれば気にもされないであろう会議室の扉を開ける音が、ひどくぶしつけな闖入者の来訪を響き渡らせた。 「あ・・・」 なみいるビスク首脳陣、全員の視線を集めていることに気づき、さすがに凍りつく彼女。 今開いたばかりの扉を片手に固まっている。 もう少しミスト大司祭が声をかけるのが遅ければ、彼女はきっと泣きながら詫び出したに違いない。 そう誰もが思うほどの状況であった。 迷いの霧を払うというミスト大司祭の声が、優しく彼女にかけられる。 「あら・・・貴女は今日の会議には出席しないと思っていたけれど、フレ・・・」 「今は重大会議中だぞっ、貴様は何をしとるかぁ!!」 間髪いれず、ビスク警備隊側から怒声が叩きつけられた。 いかつい、正にいかにもな外見をした年配の男である。 新兵からは鬼軍曹と呼ばれているに違いない。 さすがに萎縮して身を縮めた少女に、 「あぁ、そうだわ」 と大司祭ミストが思い出したように声をかけた。 「貴女、たしかモラ族への交流使節団に入っていましたね?」 「は、はいっ」 「モラ族と共に過ごし、研究もしたはず・・・貴女に分からないかしら?」 思わぬ成り行きにざわめく一同。 もっとも、「こんな小娘に分かるはずもなかろう」と言わんばかりの者も多かったが。 そんな雰囲気など気に求めない様子で、ミスト大司祭が“キール”に言った。 「この子に見せて頂けます? 例の物を・・・構わないでしょう?」 “モラ族への交流使節団”などという吐き気がする言葉に加え、もとより仲が悪い相手からの言葉にアクセルは顔をゆがめた。 今は大司祭に就いているこの女と、彼は大陸時代から不仲である。 それには彼の恋人であり、ミストの師匠でもあった、12日巻戦争で命を落としたカミナのことも関わっているのだが・・・ だが、それをもって無下に断るほど彼は臆面の無い男ではなかった。 吐き捨てるように「見せてやれ」と傍らの側近に命じる。 会議室の横で、滑稽なほど厳重に警護された箱から、掌に載るほどの石細工が持ってこられる。 「見てみるがいい」 お前に分かるものならな、と内心で呟きながら。 それはこの場の大多数の者の思いであったが・・・それを手に取った若きアルケィナの重鎮、だが代行業務を優先して会議から外されていた少女はあっさりと、 「あ。これ、知ってますよ」 と言ったのだった。 一瞬、その発言の意味が分からなかったのだろう。 静まり返った空白の後、一気に会議室が騒ぎ出した。 「慎めっ!!」 それを一喝して黙らせる“キール”アクセル。 皆の注目を一身に浴びた後、彼は少女の方を向かって「本当か」と問う。 ここで冗談ですなどと言えば、誰であれ間違いなく彼に首を撥ねられていたに違いなかったが。 「はい」 とあっさりと、微笑みすら浮かべて少女は答えた。 そこに、先ほどまでの怯えた姿、萎縮した姿は微塵もない。 まるで・・・まるで先ほどまでこそが演技であったかのように。 ビスク首脳の一人が、息を呑みながら問う。 誰もが知りたかったことを。 「そ、それは・・・モラ族の秘宝なのか?」 モラ族の、古代兵器なのか・・・? それに対し、少女はちょっと驚いたような表情を見せた後、微笑んで答えた。 「そうですね、これはモラ族の・・・いえ、誰にとってもの宝物だと思います」 一気に広がるざわめき。 早くも一部で所有権を争う喧騒が始まっている。 「それで」 “キール”アクセルが再び問う。 「使い方は分かるのか。用途は」 また水を打ったように静まり返る会議室一同。 頷いた後、少女は皆に告げた。 「これ、玩具です。赤ちゃんの」 今度の沈黙は長かった。 その沈黙が破られるまでに、彼女は口を開く。 「そうですよね、女子供にも持てるほど・・・小さくて、軽い」 幼い生命にも持てるほどの石細工を、その掌に乗せて見せる。 「ほら、ここを見て。丸く優しく婉曲してる。絶対に怪我なんてしないように・・・親心ですよね」 くすくすと、幸せそうに微笑いながら。 その慈愛に満ちた表情に、アクセルは柄にもなくうろたえた。 この湧き上がる感覚、かつてこのような気持ちにさせる笑顔など一人の女性しかいなかった。 彼女は石細工に唇を寄せ、囁く。 「“イーノア”」 その唇から覗いた白い歯を見て、初見の鑑定家として参加していたジョン青年は「あ、綺麗だな」と思い、そんな自分に戸惑った。 起動した石細工は仄かな優しい光を発し、まるで風のような柔らかな音色を奏でだす。 イーノア。 古代モラ族の言葉で“イー”が“支配する”であることはよく知られている。 “月の光”を“支配する”という意味のマブ教の教祖の名前ゆえに。 だが、“イー”には“支配する”の裏に“守護する”という意味もあるという。 “ゴ”が“月の光”の裏に“闇世、終焉”といった意味を持つように、古代モラ語はしばしば同意にして一見反するかのような意味をも内包する。 かの教祖も、かつては“夜の守護者”たらんと願われたのだろうか。 “昼の守護者”たる半身と共に・・・。 そして、古代モラ語で“ノア”は“未来、希望”という。 “イーノア”、その起動言語には古代モラ族の愛児への願いが込められている。 新しい生命を守護する祝福、願いの歌。 「そう、誰にとってもの宝物・・・」 一同を見渡し、微笑んで問い掛けた。 「皆さんは、これを何だと思ってたんですか?」 バツの悪い顔をして俯かぬ者はいなかった。 〜6〜 ビスク首脳会議は唐突に議題を見失い、代わりに急遽取り上げられた議案は速やかに満場一致で可決された。 次の春にはジオベイ闘技場とラスレオ大聖堂の一角に、これまで着手されていなかった育児室が整備されることだろう。 その頃にはとある事件により、大聖堂の予定区画にあった研究室の主も姿を消しているのだが、それはまだ誰も知らぬ未来である。 アルケィナの若き重鎮である少女は会議室を出、バルコニーへと向かう。 後ろからはあの秘宝の奏でる、歌ならぬ歌が聞こえる。 遥か遠い昔に、どこかの誰かの小さな生命が笑顔で手にしていた玩具を思いながら、彼女は愛すべき世界から息を吸い込んで、大きく伸びをした。 そして、 「おし♪ 今日も良い日っ」
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