短編小説っぽいもの
かみかみな。 --
本編
『かみかみな。』
〜アクセル〜 俺に聞きたいことがあるそうだな。 ただし、あまり時間は取れんぞ。 こう見えても俺は忙しい。 神官どもは神の姿は見えているらしいが、目の前で暮らす市民は見えておらぬようだからな。 治安維持や、実際の政は俺が取り仕切らねばならん。 それで、何が聞きたい? ・・・懐かしい名だ。 カミナ、彼女のことが知りたいのか。 ふん、お前とて知っていよう。 八年前、あの十二日間戦争で命を落とした三人の英雄を“トライデント”という。 その一人が彼女だ。 ・・・だが、わざわざ俺のところへ来たのだ。 お前が知りたいのはそのようなことではあるまい。 いいだろう。 俺とお前との仲だ。 話してやる、何でも聞くがいい。 なに? 出逢いから、だと? まさか貴様、この俺を・・・分かった分かった。 男の言葉に二言は無い。 話してやる。 だがな、そのにやついた面構えはやめろ。 理性が感情に押し流されそうになる。 俺が貴族の出でないことは知っているな? そうだ、俺は平民の出だ。 だが、俺は己の出自に屈したりはしなかった。 俺は決して、俺を諦めようとはしなかった。 己を信じ続け、階級という鎖を食い千切ったのだ。 あのウルリック・リキテンシュタインのようにな。 騎士ウルリックは知っているか? そうか、では話してやろう。 彼も庶民の出、だが彼の生まれた地では騎士は血統でのみなれるものだった。 騎士になれるかどうか、それは生まれた瞬間に決まっていたのだ。 だが、彼の父は言った。 諦めるな、自分を信じ続けろ。 本当に自分を信じ続ければ・・・運命は変えられる。 彼はその言葉を信じ、世界に立ち向かったのだ。 命を賭けて身分を偽り、彼はとうとう馬上槍試合に出ることに成功した。 そこで戦うことになったのが黒太子エドワード、王族だよ。 対戦相手は誰もが自分から馬を降り、勝ちを譲った。 そんな相手だ。 そうだな、お前ならどうする? ・・・なんだとっ、貴様・・・くっ。 聞くのではなかった。 気分が悪くなるな。 まったく、呆れ果てたやつだ。 改めて見損なったぞ。 いいか、ウルリック卿はお前とは違った。 彼は黒太子の心を理解し、正面から戦って打ち負かしたのだ。 そして槍試合の決勝まで勝ち進んだ。 が、そこで決勝の対戦相手が気づいたのだ。 彼が身分を偽っていることを。 それは斬首を避けられぬ大罪だった。 決勝前夜、宿でウルリックは知らされる。 出場のために会場に出向けば、そのままギロチンにかけられることをな。 だが彼は騎士だった。 その身分は偽りでも、彼の魂は間違いなく騎士だった。 彼は逃げず、決勝の会場に向かい、そして捕縛されたのだ。 そして、彼が首を撥ねられようとしたとき・・・ええぃ、そこで先を言うな! そうだっ、黒太子が現れて彼を救った! だがな貴様、さっきは知らぬと言っていたではないか。 なっ・・・き、貴様・・・俺の子供の頃からの憧れを・・・!! ・・・。 ・・・・・・。 立て。 もういい、許してやる。 まったく・・・土下座ならまだしも、あんな・・・貴様にはプライドというものがないのか。 重ね重ね、魂の底から呆れ果てたわ。 いいから座れ。 カミナの話が聞きたいと言ったろう。 俺はな、お前と会話をするのがいかに忌まわしいものか再確認した。 さっさと済ませてしまおう。 とにかく、俺は平民の出だが自分の力を信じ続け、それを貫き続けてのし上がったのだ。 武勲を重ね、やがて俺は貴族社会の宴の場にさえ招かれるようになっていた。 そして紹介されて出逢ったのがカミナだ。 あれを俺に紹介したのは誰だったか・・・まぁ、もうどうでもいいことだな。 その男は本国では将軍かもしれんが、しょせんは俺に彼女を紹介するためにいたようなものだ。 ・・・ふっ、ここはキ・カ大陸ではない。 媚を売って敬意を払う必要もあるまいよ。 それよりカミナだ。 彼女を見たとき、俺は心を奪われた。 月並みか? だがな、彼女の前であの時、俺には自分が月並みな男でない自負があった。 相手が貴族の女という気後れを打ち倒し、俺は彼女の唇を奪おうとした。 そう、いきなりだ。 ・・・お前、喜びすぎだろう。 とりあえず、口笛を吹くのはやめろ。 だがまぁ、確かに痛快ではあったな。 周りの貴族どもは慌てふためき、場をわきまえぬ馬鹿な男は盛大に平手打ちを食らった。 強烈だったな、あれは。 結果、俺はその場で謹慎を言い渡され、衛兵どもにつまみ出されたわけだ。 彼女との出逢いはそんなところだな。 あれ以来、俺とカミナはお互いに意識し合うようになった。 表面上はともかく、それが悪い意味でなかったのは俺に魅力があったということだろう。 男が魅力的な女に吸い寄せられるように、女も魅力のある男に惹かれるものだ。 当然のことだろう? それからの俺は・・・そうだな、行動だけを見ればただの男に成り下がったとも言えるか。 おい。 何故、ガッカリしたような顔をする。 ・・・裏切られたような目で見られても不本意なんだが。 誤解するなよ。 行動だけを見れば、だ。 その内容は月並みの男より遥かに上だったと自負している。 彼女のために武勲を上げ、名誉を捧げ、きらびやかな贈り物をした。 それが女の幸せというものだろう? 彼女は貴族だったが、俺の与えた諸々は月並みな貴族の男どもを間違いなく凌ぐものだった。 いつしか俺と彼女は恋仲になり、周囲からも認知されていった。 表立って俺を庶民出と蔑む連中はいなくなっていったよ。 当然だろう。 飛ぶ鳥を落とす勢いで出世を続ける男、その隣りにいるのは生粋の貴族の女。 貴族の女カミナを得、俺は弱点が無くなったのだ。 俺は思った。 本当に運命は変えられるのだと。 俺の前にあるのは栄光の道、それが血塗られたものであってもな。 やがて、ドラキア帝国の皇帝じきじきに俺は“キール”の称号を授けられた。 庶民出の俺が、だ。 俺は、運命を打ち負かしたのだ。 やがて、ドラキア帝国でこの島の噂が囁かれるようになった。 皇帝は軍を派遣することにした。 ただの遠征軍ではない。 強大な軍団だよ。 それを指揮するのは俺しかいなかった。 当然のように皇帝は俺に実質的な総指揮を命じ、かくして俺はこの島にやってきたのだ。 この地を征服するために、な。 ふん、神の教えだと? 布教か! はっ、馬鹿な。 元老院の古狸どもがそんな理由で動くものか。 つつくような戦力ではないのだ。 殴りつけ、叩き潰すための戦力。 目的は一つしかあるまいよ。 あぁ、そうだな・・・物事には建前というものがあるからな。 表向きの総指揮は王族のイルミナ、あの女がラル・ファク教を広めるためにということになっている。 だが実質となれば違う。 征服に来たのだ、戦で軍を指揮するのは誰か。 戦に勝っても統治をせねばならん。 それは誰がする。 宗教がどれほど現実の助けになるというのだ。 俺が思うにな、宗教とは理想の死体だ。 不変であることが価値のように敬われるが、理想は不変ではない。 考えてもみよ。 宗教が発祥した貧しい時代の理想が楽園だ。 だが、後世の豊かな暮らしの者にとってそれが楽園か? 理想というものは時代、暮らし、それら目の前の現実によって変わりゆくものだ。 宗教は変わらぬ。 宗教の掲げる理想郷は古代で固定され、不変であるがゆえに理想にはなりきれぬのさ。 ゆえにな、俺は言うのだ。 宗教とは理想の死体に過ぎぬ、とな。 そんな現実逃避の連中に何が出来る。 一時の気晴らしにはなるだろう。 だが、教会から帰れば暮らしが待っている。 人は生きる限り、それから逃れられん。 貧しい暮らし、みじめな暮らしを変えるためには宗教など無力だよ。 忘れ、逃避し、そのままで耐えるためになら有効だろうがな。 だがそのような生き方、俺は好かぬ。 それが本当に生きていると言えるのか? 人は泣くために生まれてきたのではない。 悲しむために生まれてきたのではない。 蔑まれるために生まれてきたのではない。 そんな人間など、いない! 人はな、どのような生まれであれ、理想を求める権利を持っているはずなのだ。 それを放棄するか、自分を信じ続けて傷つきながらあがくか、それは自由だがな。 このビスクの街並み・・・華やかなものだ。 だが、裏に回れば貧しい者たちの住む区画は現実としてある。 日々の生活にあえぐものとていよう。 貧民に生まれたがゆえに、人生を諦観している者が現実にいる。 その者たちを本当に救ってやれるのは神の教えではない。 教会でだけ聞く言葉にどれほどの力がある? 暗闇で、弱き者に振るわれる暴力を取り締まるのは警備隊の武力だ。 殴られながら呟き続ける祈りの言葉、そんなものは糞食らえだ。 そんな言葉を出すくらいなら、助けてくれと叫べ。 現実に手を伸ばしてあがけ。 俺は可能な限り、手を伸ばして救ってやろう。 現実の武力をもって。 現実の権力をもって。 無論、限界はある。 俺はまだ全能ではないからな。 結局、鍵はその者の中に、自分自身にあるのだ。 実際に声をあげよ、助かりたいと逃げ出すために。 鍛えよ、目の前の現実を変えるために。 這い上がろうとすることをやめた者に興味は無い。 だが、諦めることをせずにあがき続け、そして叶わず死んでいった者がいたとき、俺はたまらなくなる。 強く思う、軍神になりたい。 現実に振るえる力を持ち、全能なる力を持つ者に近づきたいとな。 そうすれば・・・。 笑え。 今の俺はまだまだ権力を振るう一人の男に過ぎぬ。 だがいずれ、俺は必ず・・・ すまぬな、脱線してしまった。 カミナのことだったな。 遠征軍の中に彼女もいた。 当然だ。 俺と彼女はすでに一つ、だから俺についてきた。 それだけのこと。 あぁ、そういえば彼女はただの貴族の娘ではなかった。 力を持っていた。 魔法という、な。 貴族にしては珍しいか? 確かに、少し変わっていたな。 もっとも、それは俺好みだったよ。 むろん、貴族の女というだけでもその魅力は疑うべくも無い。 特に庶民出の俺にとってはな。 だが、俺は強くなろうとする者が好きだ。 どういう形であれ。 男も女もない。 彼女はかなりの魔法の使い手だった。 それも誇らしかったな。 誇りは多いほど、良い。 だが・・・今にして思えば、それが彼女の命を縮めることになったとも言える。 戦場に出ぬ貴族の娘であれば、彼女は死なずに済んだだろう。 そうだ、彼女は死んだ。 この島を征服するための大戦、十二日間戦争でな。 そうか、お前も知っているか。 その通り、彼女は俺を守るために死んだのだ。 真実だ。 だが、一つ納得がいかないのは・・・いや、何でもない。 食いつくな。 何でもないと言っただろう。 あぁ、うるさいやつだ。 分かった分かった、教えてやる。 俺が気にかかったのはな、あのとき、俺をかばうために敵の剣の前に彼女が身をさらしたとき。 あの敵兵の一撃・・・あれは俺にとって、苦も無く避けられるものだったということだ。 彼女が身を呈して犠牲になる必要などなかった。 明らかに。 何故、あのような拙い剣戟を彼女は・・・あぁ・・・いや、やはり俺のせいだな。 女ゆえに見誤ったというのは酷だろう。 俺の力が足りなかったのだ。 彼女を信じさせることができなかった。 安心して避けられると思わせ切れなかった、俺の力不足。 彼女を心底信じさせることができなかったせいで、俺は彼女を失うことになったのだ。 俺もまだまだ、自分を鍛えねばならぬということだ。 彼女を失ったことは悲しい。 悔やむ気持ちは無論ある。 だが・・・俺のために命を捨てた彼女の行動を愛しく思うと言えば、お前は俺を軽蔑するだろうか。 カミナ。 彼女は俺にとって、特別な女だ。 今までも、これからも。 それは変わらぬ。 よだかの星? 知ってはいるが・・・異国の物語だろう。 おいおい、聞いておいて意外な顔をするな。 俺は武力だけを鍛えている軍人は嫌いだ。 教養も身につけるため、書物を紐解くこともある。 もっとも、あの話は到底、俺好みとは言えなかったがな。 よだかは無様だ。 外見が醜く生まれたからではない。 仲間や星々にすがりつこうと懇願する様が惰弱で無様なのだ。 泣きながら何もせずに死ぬより遥かにマシで見込みはあるが、覇気が足らぬ。 あれは性根から鍛え直してやりたい軟弱者だな。 なに? 物語の最後、天高く輝き燃えるよだかは幸せだと思うか、だと? 決まっている。 栄光を掴んで星となったよだかは幸せであったろうよ。 過程は気に食わないがな。 栄光と名誉とは、ひたすら自分を信じて己を鍛え続け、努力して掴み取るものだと俺は思っている。 〜ミスト〜 私に話があるというのは・・・あぁ、あなたでしたか。 ごきげんよう。 お久しぶりですね。 ふふ・・・やめてください。 確かに人からは大神官と呼ばれていますが、私は神に仕える神官の一人に過ぎませんよ。 私への天才という呼称が、本当は違うように。 ところで、今日は・・・なるほど、カミナ様のことを。 はい、その通りです。 カミナ様は私にとって敬愛してやまない師匠でした。 ええ、お話しましょう。 他ならぬあなたが聞きたいというのであれば。 神の御名に誓って偽りは申しません。 ただ・・・あの御方のことを話すのは、私にとってとても苦しいこと。 慎むべき言葉、ひそめるべき心があらわれてしまうかも知れません。 神よ。 願わくば、その御目をしばし閉ざしてくださいますよう・・・。 そうですね、不遜な言い方になりますけれど・・・良くも悪くも、カミナ様は女でした。 激しい言い方に聞こえますか? もちろん、カミナ様が信仰心より情愛を選んだなどという意味ではありませんよ。 あの方はなにより神を愛し、ダイアロスの島民の魂を救済することを願っておられました。 ええ、もちろんです。 決まっているではありませんか。 敬虔なラル・ファク教徒であるカミナ様にとって、あの男はむしろ害悪であったと思います。 たとえご自分で自覚されておられなくても、第三者だからこそ分かることもあるでしょう。 はい? ええ、そうです。 あの男・・・もちろん、アクセル様のことです。 いいえ、アクセル様が不実であったという意味ではありません。 むしろ、恋人としては理想的だったのかも。 一般的な意味では。 けれど、大半の者にとって理想であることが、必ずしも万人に最良とはいえませんでしょう? あの男と出会い、カミナ様は思い悩まれるようになりました。 それはあの方を心を傾けて見ていれば分かることです。 なのに。 最初はカミナ様も幸せそうでした。 私もそのことを喜び、祝福の気持ちさえ抱いていたのです。 本当に、本心から。 ですが、やがてお顔を曇らせるカミナ様を目にすることが増えました。 そういった表情は一瞬のことで、ひとに気づくと即座に隠されてしまうのですけれど。 私は心配でした。 貴族でありながら、若くして天賦の才をもった魔導士として高名なカミナ様。 そんな方が、どうして毎日のようにため息をつかれるようになったのでしょう? 何を悩まれることが? 私は幼い頃から神学に没頭してきた朴念仁です。 恋愛のことなどは分かりません。 けれど、笑顔が心からのものかは分かります。 本当に相手を理解したいと願い、心を傾けて見れば分かるはず。 人とはそういうものではありませんか? それなのに、あの男は何も気づいていませんでした。 何故? 私が想像し得るような恋愛などは、実際には絵空事でしょう。 現実には色々ありましょう。 それは分かります。 でも、他に誰がいるのです? 誰が分かってあげられましょう。 いえ、分かってあげるべきでしょう。 一人しかいないはずではありませんか。 対して、あの男は幸せそうでした。 実際、幸せだったのでしょう。 幸せを分かち合う、そんな神の教えに従った心など持ち合わせていない男。 己の中で幸せを育て、己で幸せを味わうことしか知らぬ男。 二人を見ていると、私の中でいまだ知られざる感情が渦巻くのを感じました。 敬虔な神の教えの中で、名づけられざる醜い感情。 私は不安でした。 それまで、神の名を唱えれば不安など消えてしまっていたのに。 神の教えに迷いなど存在しないはずです。 ただ安心できるはずでした。 けれど、あの頃の私は霧の中で彷徨う幼子のようでした。 私には理解できない、男と女の関係。 私に何が出来るのか。 敬愛してやまないお師匠様に、何がしてあげられるのか。 想像もつきませんでした。 ただ、自分には何もしてあげられないと思うのがこわかった。 神の世界に絶望などないはずです。 それなのに、何故。 私にとって、あの男は神の世界を歪める侵略者のように思えたほどです。 あなたも知っていますね。 ええ、カミナ様は亡くなりました。 あの12日間戦争で。 あれは必要な、尊い崇高な戦いでしたが、犠牲は大きかった。 皆さんと同じように、私も心を痛めています。 そして、この街で最も心を痛めておられるのはイルミナ様でしょう。 争いは常にかなしく忌まわしいものです。 神の教えのために必要な場合を除き、争いなど世界から消えてしまうべきです。 そして、全ての世界に神の教えが広まったとき、必要な争いはなくなり、真の平和が訪れるでしょう。 そのための必要な争いであり、必要な犠牲でした。 そう・・・言い聞かせています。 今も、自分に。 毎日の祈りたびに。 けれど、どうしても抑えられない思いがあるのです。 それは決して消えてしまわない。 もちろん、カミナ様だけが特別な命というわけではありません。 神のもとに全ての信徒の魂は平等です。 それは分かっていても・・・思ってしまうのです、あの方が亡くなる必要などなかったのにと。 だって、そうでしょう? あの方は、神の教えのために命を落としたのではありませんでした。 違うのです。 あの男をかばって死んだ。 何故! ・・・あの方が望んだこと、それは分かっています。 けれど、あの男と出会わなければ、カミナ様が命を落とすことはなかったのです。 カミナ様はあの男に幸せを与えました。 あの男は、カミナ様に何を与えたというのでしょう? 私には、あの方の悩みは分かりません。 今も。 ただ、一つだけ分かっているのは・・・カミナ様は命を落とされたのは、あの男のせいだということ。 そう思えてなりません。 身を呈してかばったからという意味だけでなく、もっと以前から続く、あの男に関係した何かが原因だったのではないかと。 それが発芽した結果が・・・ よだかの星、ですか? ええ、知っています。 異国の、かなしい物語ですね。 とても切ない。 けれど、最後はとてもあたたかい物語だと思います。 ええ。 最後は星になったよだか、そのようなことができるのは誰でしょうか。 その奇跡の御業は、神によるものに決まっているではありませんか。 苦しむ者でも、不幸な者でも、神への愛を忘れなければきっと救って下さいます。 これはそう、慈悲深い神の教えを伝える物語なのです。 くれぐれも、神の教えを第一と心得ることです。 でなければ・・・ それでは、ごきげんよう。 ラル・ファク、イル・ファッシーナ。 〜カミナ〜 あれは幼かった頃の思い出。 お屋敷の中で、母と二人っきりでした隠れんぼ。 庶民の、けれども自由な子供たちが広場や市場でするような、他愛ない遊び。 クローゼットの中に隠れて、少しだけ開いた隙間から、母が私を探すのを見ていた。 見つからないようにという思いと、少しずつ育っていくそれに反する感情。 やがて、とうとう。 あたしは、ようやく見つけられたと思った。 母がこちらを見ていた。 目が合った、と思った。 嬉しさが湧き上がった。 でも・・・違った。 母はまた、あたしを探し始めた。 そのとき膨れ上がった、猛烈な感情。 自分から隠れておいて、何故だか自分が母に見捨てられてしまったように思った。 唐突に叩きつけられたような、かなしいという感情でいっぱいになって。 泣いてしまった。 大声をあげて。 号泣しているあたしに気づき、母が抱き締めてくれたけれど、あたしはずっと泣き続けていた。 涙が涸れるまで、止まらなかった。 それから、あたしは良い子にしていた。 褒めてもらいたかった。 視線を独り占めしたいほどに、見ていて欲しかった。 だからあたしは、とても、とてもとても良い子になろうとした。 大人しいお利口さんは、実はがむしゃらだった。 優雅な白鳥は、水面の下で激しく水を掻いているという。 それは、優雅な白鳥であるために必要なことだからだ。 そう思う。 あたしは一つの欲求、いや・・・不安のために、自分を作り上げていったのだ。 とても幼稚な、必死な、祈りにも似た生き方だった。 そんなあたしだから。 あのような最後を迎えることになったのだと、死に前にしてあたしは思う。 貴族の娘であったあたしが魔法を学び始めたのも、魔導士の素質があったからではなかった。 学院の成績が示すところによれば、あたしには天賦の才があったということになる。 けれど、だからアルケミストの道を選んだのではなかった。 実のところ、馬鹿馬鹿しいほどになるまで突き詰めてみれば、要は目立ちたかったのだろうと思う。 両親の戸惑いも、貴族仲間からの好奇の視線も、あたしを見てくれるという点では同じだった。 それがやがて両親の誇りになり、貴族仲間からの畏敬の念に変わっても、あたしにとっては同じことだったのだ。 問題は、そうして作り上げた自分が、本当の自分ではなかったということ。 本当のあたしは、ずっと変わっていなかった。 あの、幼い頃に母と隠れんぼをした頃と、何一つ。 けれど、誰もそんなことに気づきはしなかった。 あたし自身、分かっていなかったのかもしれない。 いつか、この違和感が消化され、作り上げた自分が本当の自分になるような錯覚さえ抱いていたと思う。 今回だけだからと言い訳し、豚の仮面を被った者の心が・・・いつしか本当に卑しいものに変わってしまうように。 あたしはいつか、この凄い自分という者になれると思っていたのだ。 自分で作り上げてしまったそれを、これが自分だと納得して受け入れられるようになると信じていた。 いや、信じようとした。 でも。 無理だった。 それは間違いだった。 考えてみれば、当然のことかもしれない。 作り上げた偶像は、それが極まるほどに、本来のものと遊離していくもの。 ましてや、あたしのそれはガーゴイルのようなものだった。 人が魔物を恐れ、必死に、それこそ命を削る思いで作り上げた偶像。 想像力が作り出す恐怖は、本物のそれなど遥かに凌駕する。 魔物を模したガーゴイルは、模造品であるが故に、人の心が作り出した偶像であるが故に、魔物よりもおぞましく強大なのだ。 あたしが作り上げたあたしは、もう手に負えないものに育っていた。 空を飛べない生き物が、背伸びなどするものではない。 あたしの伸びた影は大きくなり、あたしを呑み込んでしまった。 本当のあたしは、もうどこにもいない。 そう思いながら、あたしは育った。 そんなあたしが、希望を抱いてしまったことがある。 それが、アクセルとの出会いだった。 彼は型破りな青年で、野蛮で粗野なほど荒々しい魂を抱えた、前途有望な若者だった。 貴族の宴という風景にはまるで似合っていなかったと思う。 彼は、隠し切れないほどに自分が強すぎたのだ。 なのに、それを隠そうと無理をしているように見えた。 背伸びをし、上流階級に入ろうとする庶民の限界が、あのときの彼そのものだった。 貴族仲間は内心で、彼のことを嘲笑っていたのだと思う。 そういう視点で見れば、彼は哀れな道化だった。 けれど、彼は弱々しい道化ではなかった。 滑稽なほど分をわきまえないドンキホーテだった。 あのとき彼が浮かべていた倣岸不遜な笑みは、必死のものだったに違いないと私は確信している。 知っているのだ。 水面下の白鳥の姿を、あたしは。 べつに、そういうところに惹かれたわけではない。 今いる場所と本当の自分との違和感を抱えた姿に、不思議な共感を覚えたからではない。 ただ、彼のことは一目見て印象に残った。 貴族仲間たちにとっても印象深い若者であったろうが、それとは違った意味で。 そして決定的だったのは、いや、致命的だったのは、彼との出会いはそれだけで終わらなかったことだろう。 アクセルは一直線にあたしのほうへと歩いてきた。 馬上槍を構え、突撃する騎士のように、宴の場に不似合いな空気を纏って。 あのときのことを思い出すと、あたしは愉快でたまらなくなる。 笑い出したくなってしまう。 あれは、そう、痛快だった。 今にして思えば、だけれど。 いきなり唇を奪われたあたしは、反射的にアクセルの頬を張り倒していた、らしい。 よく憶えていない。 ただあたしは、あのときの衝撃的な感覚に希望を感じたのだ。 これまで、全ての人間は一歩離れた付き合いだった。 当然だろう。 普通の人間は、程度の差こそあるが、ぶしつけではない。 だが、離れて見るあたしは、作られたあたしだった。 誰も違和感無くそれを受け入れてきた。 あたしは神童で、貴族の娘で、高名な魔導士なのだと。 その作られたあたしの中を見るには、それを壊して覗き込まなくてはならない。 誰もそんなことをしようとしなかった。 そんな思いやりの無い、ぶしつけな人間はいなかった。 だから、あたしはいつまでも作られたあたしだったのだ。 礼儀正しく、控えめに伝えられる告白は、あたしに対してのものではない。 そう感じていた。 あたしが作り上げた、ガーゴイルへの告白だ。 偶像への賛歌だ。 もし、誰かが「それは本当のあなたか」と問うていれば、「本当のあなたを知りたい」と踏みにじるように踏み込んでいれば。 あたしは他愛なく落ちただろう。 いともたやすく、一太刀も交えることなく陥落する砦のように。 あたしは手練手管をもった大人の女ではなくて、愚かな幼子だったのだから。 その相手が、世間知らずの貴族の若者であっても構わない。 いや、あの頃の教え子の少女であったとしても、あたしには何の問題も無かった。 地位があるとか、知性があるとか、男だとか、あたしが求めていたのはそういうものでは無かったのだから。 ただ、自分で隠れておいて出られなくなったクローゼットの扉を開けてくれるだけで良かった。 それだけで、あたしは全てを捧げただろう。 捧げるしかなかったろう。 それほど、あたしの魂はぎりぎりだったのだ。 けれど、彼もただの男だった。 飢えた魂を持っただけの、あたしに従順な、猛獣。 その牙で獲物を狩り、あたしに貢物を捧げる。 偶像を崇拝するように。 よだかの星、という物語がある。 よだかは醜い。 自他ともに認めるほどに醜い。 蔑まれ、飛び出そうとしたよだか。 星々に仲間にして欲しいと懇願し、無視され、拒絶され、地に落ちようとし、寸前で再び羽ばたき。 最後は空で燃え続ける星になったよだかは。 その最後は、幸せだったのだろうか? どう思った? もしアクセルなら、彼なら喜びと見るだろう。 最後の最後で這い上がり、栄光を掴んだ歓喜に包まれ、誇らしげに輝いていると。 あたしは違うと思う。 よだかは、喜んでなんかいない。 嬉しくなんかない。 星々に拒絶され、絶望し、最後は空で燃え続ける星となったよだかは。 きっと。 きっと。 怒っていた。 猛烈に、怒っていた。 あたしはそう思う。 私を連れていって下さい。 地上に絶望し、太陽にそう懇願したよだか。 太陽は夜の星々に押し付けた。 よだかは青白く輝く西の星に叫ぶ。 私を連れていって下さい、灼けて死んでもかまいません! けれど、西の星は何も答えなかった。 拒絶の言葉さえ投げかけなかった。 そのあとの南、北、東の星とて変わりはしない。 よだかは相手にされなかった。 愛しているという言葉の反意語は何だ? 嫌い? 憎んでる? 違う。 無関心、だ。 我が身を包むほどの怒り、よだかは今も怒りに燃え続けているのだ。 ひときわ輝く蒼いよだかの星は、今も。 叫んでいる。 訴えている。 懇願している。 わたしを、見て! 怒れる貴族の娘は思う。 あたしは、よだかだ。 キ・カ大陸からやってきた、あたしたちダイアロス島遠征軍。 それは島民たちの祭りの日に奇襲として始まった。 来る日も来る日も戦いが続いた。 優しいジュネが命を落とし、荒々しいホルテが斃れ、それでも戦いは続いた。 あたしもまた、戦場で戦い続けた。 魔導士として、アクセルと共に。 あたしは神のために戦っていたのだろうか。 違うと思う。 では、アクセルのために? 違う。 あたしが戦っていたのは、これまでの生き方と同じ理由から。 クローゼットの中に魂を閉じ込めたまま、ガーゴイルは敵を殺し続ける。 本当のあたしは隙間から外の世界を眺めているだけ。 敵が、味方が斃れていく。 どうでもいい。 アクセル。 あたしに残された希望の欠片。 それがたとえ、残り香に過ぎない程度であっても。 もうあたしには、他に誰もいない。 アクセル。 炎で、雷で、氷雪で。 叫ぶように魔法を紡ぐ。 吠えるように詠唱する。 けれど。 魔法でいくら敵を撃ち倒しても、彼はあたしを見ない。 いや、一瞥はする。 でもそれだけ。 あたしの姿を見ているだけ。 確認しているだけ。 そしてそれは、きっとあたしじゃ、ない。 ガーゴイル。 あたしが必死の思いで、死に物狂いに作り上げてしまった、偶像を確認しているだけ。 本当に、本当のあたしを見ているんじゃない。 彼が抱くそれは、信頼かもしれない。 だが、信頼とは盲信だ。 思い込んだ像を見、勝手に納得し、安心しているだけだ。 勝手な解釈で、勝手に納得して、勝手に安心しているだけだ。 違う。 違う違う。 アクセル、あなたが見ているあたしは本当のあたし? 勝手に思い込まないで。 勝手に安心しないで。 あたしはこんなに、こんなに叫んでいるのに。 あなたが守ろうとしているあたしは、あたしじゃない。 あなたがあたしを見るたび、期待してしまう。 なのに、あなたは勝手に納得して視線を戻してしまう。 幼かった頃の思い出の母のように。 そのたびに思わされる。 あなたが大切に思うあたしは、本当のあたしじゃなくていいんだって。 あなたが見ているあたしは何? 微笑む、幸せな貴族の娘? あたしはあなたの栄光の装飾品じゃない。 あなたの誇りになりたいなんて、思えない。 あたしはもっと幼稚で、我侭で、自業自得の愚かな子供。 もう限界だった。 偶像の容れ物に入った、あたし。 精神の均衡の壊れかけた。 心の堤防が崩れかけた。 ぎりぎりの、白鳥。 どれだけ敵を打ち倒しても、彼は本当のあたしを見てはくれない。 そう悟ったあたしの目に、横から彼に斬りかかる敵の姿が見えた。 あぁ、そのときのあたしの気持ちが分かるだろうか。 それはまさに天啓だった。 あたしは呪文を解き放った。 敵を撃ち倒すそれではなく、自分を小転移させる魔法を。 そして。 瞬時に彼と敵兵の間に現出したあたしを、鉄の塊が刺し貫いた。 きっとアクセルは驚いた事だろう。 なぜなら、その敵の剣撃を避けることくらい彼にはたやすかったはずだから。 愕然とした表情であたしを見るアクセル。 何故? 彼がそう思っているのが分かる。 あたしへの疑問でいっぱいになっている彼。 そのとき、あたしは・・・勝利を感じた。 錯覚でもいい。 独り善がりの、間違った自己満足で構わない。 目を見張る彼の表情を見、愕然とする彼の目を覗き込み、あたしは唇を歪ませた。 そして思う。 彼はきっと、自分をかばうためにあたしが身を呈したと思うに違いない。 同じく魔法を使うなら、敵兵を撃ち倒すこともたやすいなんてことには気づかずに。 思いもせずに。 自分を納得させるだろう。 そして勝手に悲しむだろう。 あたしを哀れむだろう。 その嘆きは本物で、そして見当外れだ。 そう思うと、あたしはふとおかしくなって、少しわらった。 でも、それでもいい。 あたしの心は今、求め続けた安心で満たされている。 この一瞬、あなたは間違いなくあたしを見ようとしているのだから。 なりふり構わず、世界を忘れ、あたしへの疑問だけに満たされて。 あたしのことを知ろうとしているのだから。 それで勘違いするあなたのことを許してあげるわ。 アクセル、あたしの征服者。
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