〜プロローグ〜
「俺はもう駄目だ・・・」
ギルドの溜まり場にやってくるなり、河崎がうめくように言った。
その表情には苦悩と絶望、怯え、そして押さえ込まれた憤怒が刻まれている。
来るんだ、やつらが。
彼は言う。
学校に安住の地は無い。
教室、図書室、食堂、体育館、どこへ行っても、やつらはやってくる。
学校から外に出ても同じだ、と言う。
コンビニにさえ、やつらはいる。
「そして今、とうとう・・・」
ここ、MUにまで。
「ちくしょう」
河崎がうめく。
「ちくしょう、ちくしょう」
小さくも痛ましい声で、彼は怨嗟を吐き続ける。
その姿はまるで、イジメを受けながら逃げ道すら見つけらない、自傷にも近き自問の如く。
己が敵わぬ強大な暴力に対して、ただ「ちくしょう」と繰り返す。
彼は想像もしていなかったのだ。
河崎を見ながら、わたしは思う。
ここは彼の聖地だった。
現実から逃げ込める秘密基地、待っていてくれる約束の地。
そのはずだったのに。
「MUにまで・・・」
震える背中、泣いているのか。
わたしの視線など意識さえいないだろう彼は、その呪わしき言葉を口にした。
「クリスマスがやってくる!」
クリスマス。
おぉ、そは忌まわしき疫病よ!
河崎は顔を上げ、唾棄すべきクリスマスについて熱弁をふるいだした。
それは黒死病の如く世界を覆い尽くし、無慈悲なまでに暴虐の限りを尽くす。
世界が叫ぶ。
“さぁ! クリスマスだ、外へ出て。幸せが待っている!”
ハッ。
“独りで寂しく過ごす聖夜なんて、かなしくないかい?”
うるさい、うるさい。
「俺の魂の自由を批判するな!」
恋愛という熱病に浮かされた保菌者どもが街中を練り歩き。
富める者は愛という名の光を無遠慮にまき散らし、俺たち貧者は劣等感の闇にさい悩まされながら逃げまどうしかない!
そんな彼の演説を聴きながら、わたしは「美香さん、お金は太陽のように使うものよ」と言った叶姉妹の姉を思い出していた。
お金も愛も同じだ。
「俺たちはモグラだ! ちくしょう!」
河崎の悲痛な叫び。
恋人たちは幸せという威光を振り翳し、恥知らずなまでに暴虐の限りを尽くす。
否、存在すること自体が罪なのだ。暴力なのだ。
「やつらはファシストだ。クリスマスという名のファシスト! クリスマスファシストだ!」
孤高の魂たる河崎は拳を振り上げ、憤怒、妬み、劣等感、とても口に出来ない欲望、色んなものを言葉に煮詰めて吐き出す。
恋人たちに死を。
愛という軟弱な言葉に舞い踊る愚か者たちに鉄槌を!
ガンホー! ガンホー!
熱弁をふるう河崎に、
「ねぇ。あたしたちもNGなのかな・・・?」
おずおずと問いかけたのは細居さんだった。
少し笑みが引きつっている。
彼女の隣りにいる坂井くんの表情も冴えない。
細居さんと坂井くんの二人がリアルで夫婦、それも新婚であることはギルドの誰もが知っていることだった。
河崎は恐ろしい形相をした後、「ひっ」と息を飲む細居さんから視線を外し、黙り込む。
どうやら悩み、考え込んでいる様子だった。
その険しい表情を見守る細居・坂井の新婚夫婦。
背後でこっそり繋いだ手が、心なしか震えているように見える。
処遇をどうしようか考えている誘拐犯と、その人質みたいな絵だ。
しばらく考え込んだ後、河崎はおもむろに腰の剣に手をかけたと思うと、ざっと抜きかけ、それを見た夫婦がぎょっとした直後、また剣を納めた。
そして、また悩み続ける。
「・・・」
どのくらいの時間が流れただろう。
いたたまれないほどの沈黙の後、ようやく河崎が二人のほうを向いて言った。
「・・・夫婦は、いいんじゃないっすかね」
わたしは命拾いした二人の背中に、祝福を心の中で投げかけた。
少し動揺の残る様子で坂井くんが、
「・・・かなり迷ってたよね」
「ええ、まぁ」
「・・・途中、不安になるそぶりもしてたし」
「ええ、まぁ」
ふたたび降りる気まずい空気。
それを打ち破るように、細居さんが明らかに不自然な笑顔で言った。
「あ、ねぇねぇ! 河崎くんは誰かと付き合ってみたりしないの?」
その瞬間、場にいる全員が宙を見上げ、思った。
おぉ、神よ・・・なにゆえ、この者に理性と思慮を与えなかったのですか。
空気を読め、空気を。
人には口にしてはならない質問があるだろう!
否、それはもはや質問ではない。
攻撃だ。
精神攻撃、どんなウィザードも(人の心があるならば)禁忌とするであろう魔法攻撃だ。
そして、わたしは思い出す。
そうだ。
細居さんはこういう人だった。
目の前に地雷原がひろがるとき、人は進むのを避ける。
どうしても進まねばならないなら、つま先だって進む。
少しでも地雷を踏む確率を少なくするために。
それが人というものだ。
けれど、細居さんは大の字でダイブする人だ。
追い込まれたとき、彼女は何故か、可能な限り最大限の接地面積でダイブする。
もっとも、その後ごろごろとローラー作戦のように転がったりまではしない。
勿論、それまでに地雷が起爆するからだ。
案の定、河崎はうつむいてプルプルと震えた後、やおら咆吼を上げながら外へ飛び出した。
外からは「きゃあぁぁぁ!?」という女の悲鳴と、「何だあんたは!」という男の絶叫、
そして、「ミニスカサンタ! ミニスカサンタ!」と連呼する河崎の声が響き、やがて遠ざかっていった。
それが一週間前のことである。
〜クリスマス前夜〜
今やこんなことになっているわたしだが、生まれた頃からこんな有様だったわけではなかった。
この世界に生まれ落ちたばかりのわたしは純真無垢であり、その愛らしさはデビアス一面の雪を溶かすほどだったという。
恋の一つや二つ、貢ぎ貢がれ貢がされ、そんなありきたりの幸せ人生を送ると誰もが思ったことだろう。
ところがどっこい、あにはからんや。
そもそも、わたしは異性に興味がなかった。もちろん同性にも。
こと、恋愛というものがまったく理解できなかった。
恋愛とはなんぞや?
若きホルモンの暴走か、肉欲の下僕が被る仮面のことか。
そんなものは理性があれば制御できようし、荒ぶる欲求もまた両手、いや片手があれば解消できよう。
わたしにとって、秘め事とは他人と分かち合うものではなく、己の内で完結させるものである。
幸い、恋愛などと口当たりの良い擬態で誤魔化さねばならないほど、わたしは欲求の深いタチではなかった。
リアルでもそうなのだから、わたしにとってネット恋愛などは“青いタヌキ型ネコロボット”や“物質を構成する最小のクォーク”と同じであった。
聞くことはあっても、わたし自身が出会ったり実感したりすることは決してないモノ。
知識であって、経験になることはないモノである。
そんなわたしであったから、河崎らのいるギルド“死せる孤高人の会”に入ることになったのもまた天命だったのかもしれない。
“死せる孤高人の会”は人付き合いといったうつつのしがらみに背を向け、恋愛などといった唾棄すべき疫病にツバを吐き、高尚な理念を共有する同志によって構成された共同体である。
ひとは「社会不適格者の群れ」や「孤独な廃人集団」、さらには「ヲタク」といった無意味で簡素なレッテルで我々を呼んでいるようだ。
が、構うまい。
気にすまい。
逃げるように悠々と背を向け、弱気からの逆ギレを雄々しさと言って恥じぬ人間の集団であるから、そのような愚民の中傷など気にも留めない。
時々、心がずきっとするだけだ。
だが、屈せぬ。
我々にとっては詭弁こそが知性であり、アイデンティティである。
その精神は簡単に折れるが、曲がったままでさらに伸びていく。
ギルメンたちはいずれも劣らぬ猛者どもだったが、その中でも追随を許さぬほどの独走ぶりを発揮していたのが河崎だった。
誰も追いつけないし、内心は追いつきたくもないと皆こっそり思っている。
だが、口に出すのは彼への賛美である。
彼らにとって河崎は英雄であり、あわれなキリストであった。
巨大な十字架に磔になる運命のキリストに群衆は叫ぶ。
“助けて、助けて。お願いですっ、私たちのために死んでください!”
ホザァナ、ジーザス・クライスト・スーパースター!
救い給え、親愛なる御子イエスよ!
己があわれと思っていても、キリストはうそぶき、微笑むしかない。
顔を上げ、先頭に立つ。
我が生涯に一片の悔い無し!
まだまだ続く人生なのに、あたかも刹那のものであるかのように立ち向かわねばならぬ。
真実から目を背けよ。
現実に心を迷わされるな。
負け犬こそが、英雄なのだ。
“死せる孤高人の会”において、ギルマスの河崎は皇帝であった。
ただ敬意を払われていないだけだ。
人は自分に自信を無くしたとき、しばしば他を貶めることで自己確立をはかる。
後ろを向いたときに誰かがいる安心感、優越感、それを頼りに砂漠を進むあわれな孤高の民よ。
我らの砂漠に雨は降らぬ。
であるならば、後ろに誰もいなかったら? そう思うことは底知れぬ恐怖である。
それを恐怖と認識することすら忌避するほどに。
だが安心したまえ。
我々には河崎がいる。
後ろを振り向けば、下をのぞき込めば、常にあの男がいるではないか。
我々がどこまで堕ちようと、下には下がいるのだと。
我々の現実が砂漠であるならば、彼はまさに砂漠の王であった。
民衆の誰よりも卑しく、誰よりも救いようがない故に、彼は救世主なのだ。
あぁ、基本的なことを忘れていた。
わたしの名は木邑という。
木村ではなく木邑なので、お間違えなく。
頼りなくも、平々凡々なナイトをしている。
中肉中背で、容姿は人並み、ちょっと顎髭が濃い。
ある猫だか人だかよく分からぬモノが「ナイトは職業ではありません。生き方です」と言っていたが、前述のようにわたしは発情の露出と無縁であったから、まさにナイトであったといえるだろう。
フェニックス装備をしていて、この鳥というよりイルカにしか見えないフォルムが気に入っている。
おそらく引退までイルカ頭で過ごすだろう。
そして、先だって登場した新婚の二人は細居さんと坂井くん。
いわゆるEEとWizだ。
細居さんは若干バラよりだと聞いているが、サポのAGHでそれを実感したことはない。
というか、そもそもよほど神経質でない限り、乱数で大抵の差は埋もれてしまうと思うけれど。
その言動は温厚、普段は常識的であるが、なにゆえにか危急の際に類い希な閃きをすることで知られる。
そして彼女のもっとも恐るべき点は、その閃きをためらいなく実行してしまうところにあった。
サポが間に合わず守りきれそうにないPTメンに貫通を撃ち込んだ。
深夜にどうしても親子丼が食べたくなって、どんぶり物専門店“丼何処丼(どんどこどん)”の裏にある田村農家の鶏小屋に侵入した。
エトセトラ、エトセトラ。
ギルド随一の武勇伝を誇る、隠れた女傑でもある。
筆舌に尽くしがたいその性格から、身内からは“筆舌娘”と呼ばれている。
ちなみに「筆と舌・・・卑猥ですなぁ」と感想をもらしたギルメンの磐田くんは撲殺PKされた。
一方、坂井くんのほうは回避Wizで、そのしぶとい生存率と低い火力から“粘り腰の坂井”という微妙な呼び名を欲しいままにしている。
誰も欲しがっていないので、引退までそう呼ばれることだろう。
他に数名のギルメンが部屋にいるが、まぁ詳しく紹介するまでもないだろう。
“撮る冥土ハンター”“ニーソ萌え”“俺たち二次元純愛組”“ほのぼのレイプ”“年中黒服”等々、様々な二つ名を持っている彼らだが、しょせん毒にはなっても薬にはならない腐ったミカンたちだ。
「なぁ、木邑」
ひっそりとデビアスにある、“死せる孤高人の会”の溜まり場の小屋の中で。
「ん?」
わたしは返事をし、顔を上げた。
小屋の中にはギルメンのほぼ全員がひしめいている。
台風から避難してきた濡れ鼠の群れのように。
「おまえさ、女と付き合ったことある?」
部屋中の空気が一瞬で変化し、誰もが目をそらした。
それでいて、誰もが耳をすませていることは明白だった。
いきなりそんな爆弾を投げつけてきたのは“天国から堕ちてきた男”小崎だ。
彼は去年、美女に生まれて初めて告白されたにも関わらず、パニックに陥って彼女を部屋の外に置いたまま閉じこもり、泣きながら「三次元だ! 立体的すぎる! 動いてる! しかも生きてる!」と謎の電話を妹にかけたという伝説の持ち主である。
妹は返事もせずに電話を切り、翌朝に扉を開けたときには美女は夢の如く消えていた。
まぁ、当然であるが。
それ以来、ギルメンは彼のことを“ミスター失楽園”“真性堕天使”などとも呼んでいる。
あるいは“天国への切符を食べた男”。
「ないけど?」
わたしの返事に、一斉に失望と押さえきれない安堵のため息が部屋に充満する。
「なんで?」
「なんで、って・・・キョーミないから」
これはわたしの本心からであったが、彼らが真に待ち望んだ福音でもあった。
そうだ。
俺たちがフリーなのは単にその気がないからだ。
世間を見よ。
クリスマスが近づくと、まるでトイレットペーパーを奪い合うオイルショックが如き浅ましさで、猫も杓子も恋人探しに駆け回る発情っぷり。
破廉恥な!
必死に相手を捜そうと手間をかけ、金を使い、駆け回る見苦しさを侮蔑しているから、その気になれないのだ。ならないのだ。
なら、その気になったら恋人ができるのか・・・とは誰も聞かないし、言わせない。
そんなことを言おうものなら、即日ギルドを追い出されるだろう。
あまつさえ、当分は粘着の日々を送ること請け合いである。
「じゃ、じゃあ・・・今夜もずっとINしてるんだな」
ちなみに、世間では今夜はクリスマスイブというやつである。
が、この部屋でその単語を口にする背徳者はいない。
「うん、そのつもりだけど?」
「そ、そうか! だよな、うんうん」
嬉しそうに頷く小崎。
「じつは俺もなんだよ」
知っていたし興味もなかったが、義理と人情をわきまえているわたしは「そうなんだ」と答えておいた。
「あ、俺も」
と声があがったが、どうでもよかったのでこれはスルーした。
窓の外では今夜も雪が降っている。
聖夜の雪はことさら寒く冷たい気がするのは錯覚だろうか。
寒い。
色々な意味で寒すぎる。
だいたい、MMOにログインしておいて、狩りにも行かずに小屋に閉じこもるなどクールに過ぎよう。
どこまでストイックなんだと。
それにしても・・・なんでこれほど空気が重いのか。
この小屋の中だけ重力が増しでもしたのであろうか。
もはや触れられるほどに濃密になった空気を吸うことに耐えきれなくなったか、何か妄想に囚われ幻覚を見たのか。
三次元の女性に裏切られたことも無いのに「二次元の女は裏切らない」が口癖の“頭の中に引き籠もり”金藤が、やおら椅子をひっくり返す勢いで立ち上がり、テーブルの上に飛び乗った。
いきなりすぎる行動に、小屋の中の皆が口を開けて愕然とし、彼を見つめる。
金藤は剣を構え、誰もいない空間に向かって「こいやぁっ」と吼え、そのまま外へと走って行った。
何を見たんだ、金藤。
そしてどこへ行った。
「・・・」
このまま何事もなく時間が経てば、そこは平穏な、しかしどこか気まずい空気が部屋に立ちこめただろう。
だが、そうはならなかった。
荒々しく扉を開け、一人のナイトが入ってきたからだ。
河崎は部屋に入ってくるなり、開口一番「今夜は外へ一歩も出るな」と皆に吐き捨てた。
「危険だ」
知っている。
河崎に言われずとも、ここにいる誰もが身にしみて学ばされたことだった。
だが、好奇心は猫さえ持っている。
「な、何があったんだ?」
河崎は“恋する縞パン”麻野に目を向け、言葉少なに答えた。
「ツリーだ」
一斉にうめき声があがる。
この数日間、どこへ行ってもクリスマスという怪物が世界を占領していた。
駐留軍の如きカップルたちに追われ、ゲリラのように物陰を移動し、この小屋に集まった“死せる孤高人の会”一同。
世界は闇に包まれた。
聖夜という闇はついに、デビアスの中央にクリスマスツリーという御子を産み落としたのである。
誰かが呟いた。
「・・・この闇は眩しすぎる」
みなは思わず大いに頷きかけたが、それをうち消すように慌てて誰かが「世の中は腐ってる」と宣言した。
今度こそ全員が頷く。
わたしは実のところ、世界が腐っているのか、我々が腐っているのか分からなかったが、付き合いというものがあるので頷いておいた。
世界が腐っていれば、相対的に己の腐臭は薄らぐ。
相対的にというのは、詭弁と同じく我らにとって知性のつるぎであり、盾である。
それから、どれほど時間が経ったであろうか。
いまだ夜は明けぬ。
と、部屋の隅でくんくんと鳴くユニリアのような声がした。
本当は井田村が泣いているのだと全員が分かりつつも、誰もが頭の中からユニリアの絵を離さずに握りしめていた。
そんなとき。
再び乱暴に扉が開けられる音が響き、全員の視線が集中した。
ギルメンの磐田が帰ってきたのだ。
だが部屋に入るなり、ウィザード磐田は崩れ落ちた。
「おい、どうした? しっかりしろ!」
小崎が駆け寄り、上半身を支えて叫んだ。
ウィザード磐田は弱々しく顔を上げ、
「ふふ・・・笑ってくれよ。あわれな俺を笑ってくれよ」と誰にともなく言う。
このとき、小崎は彼の目に闇を見た。
ウィザード磐田のうつろな、真に絶望した者のみが浮かべる笑み。
自嘲という名のスィーサイド。
はっと表情をこわばらせる皆の様子に構わず、ウィザード磐田は呟き続ける。
「そうさ、俺は添え物さ。構うもんか、名脇役になってみせるよ・・・」
ふふふ。
あはは。
渇いた声で笑うウィザード磐田。
(あわれな・・・!)
河崎が「馬鹿野郎っ、だから言ったんだ・・・今夜は野良に行くなって!」と血を吐くが如くに叫んだ。
「ははは、俺の役は木さ。雑草さ。道ばたのポストさ」
それは脇役過ぎだろう。
どこの保育園の学芸会だ。
皆の同情の視線が集まる。
嗚呼、磐田よ。
どんなバカップルとPTになったというのか。
「俺には分かってた! こうなるって分かってたんだ!!」
河崎が叫ぶ。
激情家の彼は叫ばずにはいられないのだ。
「なのに、なのに救えなかった・・・ちくしょう」
涙すらにじませ、床をこぶしで叩く河崎。
皆の間を絶望の空気が支配した。
終わりだ。
俺たちを救えるものはこの世にいない。
世界は俺たちを見捨てた・・・お前たちの運命はそれだと、そう告げたのだ!
この沈黙の帳があとわずかでも長く続けば、この小屋はヒステリーとパニックの坩堝となっていただろう。
だが、静まりかえった部屋に声が響いた。
それは呟き。
「もう我慢できない」
河崎だ。
「行動するときだ」
立ち上がり、仁王立ちで皆を見渡した。
「マルコムは言った。自衛のための暴力を、私は暴力と呼ばない。それは知性である・・・と」
河崎の演説が始まる。
「その通りだ」
聞け、河崎の声を。
天の声を。
ハレルヤ!
俺たちは立ち上がる。
生きるために。
自分の身を守るために。
自衛のために、世の恋人たちに惨劇を!
呪われよ、幸せ者どもよ!
河崎の演説は最高潮に達し、ちょびヒゲの扇動者の如く群衆の心を揺さぶった。
ソーセージを食えっ、ビールを飲め!
彼は言う。
クリスマス・・・俺たちは、この季節を冬と呼ぶ。
分かるか、たった一文字の中に凝縮された浅ましいほどの欲求と飢餓、そして嫌悪と憎悪が!
涙あふれるほどの絶望が!
己が一匹の地面をはいずる虫けらに思える、そんな哀れさをやつらは分かると言えるか、断言できるか!
小屋の中の全員が唱和する。
否! 断じて否だ!
分かるはずがない!!
今、皆の心は一つとなった。
さぁ、河崎の声に耳を傾けよ。
かの声こそは我々の声、我々の心、我々の叫びである!
河崎は荒々しく足を踏み鳴らす。
何故かくぐもった微妙な音がした。
が、彼は気にしない。
皆も気にしない。
だから演説は続く。
「“クリスマス”を“苦しみます”と呼んだ駄洒落、俺はこの駄洒落に涙する」
彼の深遠なる魂はどこまでも飛躍する。
もはや戻ってこれないであろうほどに。
「その痛々しいほどに背伸びした、おどけた笑いに包まれた孤独な魂に、俺は涙する!!」
直球なのか変化球なのか分からない解釈を手に、河崎はいまや革命者となった。
敵は世界。
俺たちを拒絶した世界そのもの、その忌まわしき呪われたる御名はクリスマスなり!
「俺たちは砂漠だ。乾いた大地だ。かつては惨めなほど潤いを懇願した成れの果てだ」
そう、実はこの場の誰もが敗残兵なのだ。
戦場で、あるいは戦場に立つ前に、怯えから醜態を晒し、逃げ帰った敗残兵。
彼らを前に、腐り果てた軍隊を指揮する大隊指揮官の如く、河崎は演説する。
「俺はツンデレが好きだ」
委員長などはたまらない。
あんたのためなんかじゃないんだから! となじられたときは胸がすくような気分だった。
「俺は血の繋がっていない妹が好きだ」
昨日まで一人っ子だったのに、おにいちゃんと呼ばれる朝などはたまらない。
実は血が繋がっていると分かるのはとてもかなしいものだ。
「俺はマザコンではない母への愛が好きだ」
年甲斐もなく若い嫁さんと再婚し、早々に死んだ親父に乾杯だ!
「諸君は何を望む!」
一般常識という名の迫害か。
二十歳をこえてアニメを観るのは反社会的な行動だという診断か。
それとも・・・
河崎は熱すぎる視線を送る皆を見渡し、金八先生も及ばぬほど一人一人の目を覗き込み、「よかろう」と頷く。
ならば、戦争だ!!
世界よ、止まれ。
俺たちは降りたいんだ!
これは小さな独立戦争だ。
ポケットの中の戦争だ。
「俺はここに宣言する・・・」
彼は拳を握りしめ、歩きながら立ち位置を少し変えた。
ウィザード磐田を少し踏んでいたことに気づいたからだ。
だが、謝ることより演説を優先させる。
なぜならば。
我らは退かぬ、媚びぬ、省みぬ、前進あるのみの生き物だからだ。
れっつ、れみんぐす!
「ときは明日の夜、場所はレムリア第1サーバー、ロレンシア・・・我々は当然の権利の元に、ええじゃないか騒動を巻き起こすものである!!」
おおー!!
デビアスの小屋が揺れる。
世界を揺らすために。
一斉に鬨の声を上げ、そのあとで河崎以外の全員が思った。
ええじゃないか騒動とは、なんぞや?
〜クリスマスの昼〜
わたしは“ええじゃないか騒動”について調べてみた。
こういうとき、窓化モードは便利である。
とはいえ、モンス名も座標さえ途切れて見えない画面構成はなんとかして欲しい。
仮にも起動画面で選択できるようにしておいて、仕様ではないので云々など言い訳にならないと思うのだが。
まぁ、↑キーによる変換候補が過去ログ呼び出しになったり、発言とシステムログの一斉表示などといったチャット機能のほうが何とかして欲しいが。
それはそうと、“ええじゃないか騒動”についてである。
調べてみたところ、意外にもNHKの“そのとき歴史が動いた”などでも取り上げられているメジャーなものであった。
現実に行われた大騒動であり、時は幕末に遡る。
東は江戸から西は中国四国地方に至るまで、広域にわたって疫病の如く大流行した史上稀な社会現象であるという。
人々は太鼓を叩き、誰も彼もが「ええじゃないか、ええじゃないか」と連呼し、意味もなく踊り狂った。
おそろしいことに、本当に意味も目的もなかったらしい。
踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら・・・の心境であろうか。
国家転覆のための計画の一部であるなど、いくつかの諸説があるのだが、その中でも打ち壊しなどに至らぬようにガス抜きのため・・・という説があった。
だとしたら非常にデンジャラスである。
森見登美彦『太陽の塔』の文中に出てくるような痛快事件になりかねない。
すなわち、富豪の家に集団で押し入り、金目の物を持っては「これくれてもええじゃないか、ええじゃないか」と叫び出し。
ことここに至っては、家主も涙目で「それをやってもええじゃないか、ええじゃないか」と叫ばずにおられず、群衆はなんでも好きな物を持って帰った。
などという人類史上稀にみる痛快社会現象になりかねない騒動ではないか。
そこで急にわたしはある疑念に思い至った。
よもや河崎は騒動に紛れ、カップルを狙って「これくれてもええじゃないか」とうら若きエルフ美女を抱え上げ、「ええじゃないか、ええじゃないか」と拉致逃亡をはかるつもりではあるまいか。
いや、河崎に限ってそんな馬鹿な。
と思う一方、河崎だからこそまさか、と思うわたしがおり。
わたしは心配から眠れぬ夜を過ごすこととなったのである。
明くる日、“死せる孤高人の会”のギルメンたちは一斉蜂起し、レムリア各地でテロリストと化した。
一歩街の外へ出れば、
「一つ、独り寝繰り返し。二つ、ふつつかな嫁さえもらえず、三つ、みじめな・・・」
と唱える人斬り侍が集団で横行した。
その理不尽さたるや。
時代の変化についていけず、屋敷に集団で押し入って隠居した老人を殺害した哀れな連中が如く。
犠牲者の名前は吉良上野介ではなかったが、犯行者は身勝手な大義名分をかざして凶行に及ぶ点において同じであった。
ただし、1サバはNPKサーバーなので死人は出なかったが。
吉良上野介といえば、忠臣蔵をオマージュしたゲリラ公演も決行されていた。
わたしがエルベランドを歩いていると、
「ちら殿! ちら殿!」
と叫ぶ声がした。
無論、忠臣蔵ならば“ちら”ではなく“きら”のはずである。
視線を向ければ、そこに即興で組み立てられた舞台があった。
舞台といっても、すぐに組み立て、あるいは撤去できる簡素なものである。
その舞台上で、観た者は何かとてつもなく不味い果物を頬張ったような気分にさせる演技者が熱演していた。
一見、ゴージャスなエウロパ装備に見える。
であるが、そのスカートから覗く両足はたくましく、あまつさえ体毛が生えていた。
もちろん地毛である。
女装した“死せる孤高人の会”ギルメンが松の廊下で、己が身を用いてわいせつ物を体現していた。
取り巻きの侍であろう者たちが、
「殿中でござるっ」「ちら殿、脱がないで下さい!」などとわめいている。
それをあざ笑うが如く、ちら殿は「ちら、チラチラ!!」などと叫びながら、スカートから望まれぬサービスを振りまき、駆けていく。
そして、そのまま舞台を降り、勢いを殺すことなく街の雑踏の中へと消えていった。
なんと見事な痴態であろうか。
わたしは感動せざるをえなかった。
かの寸劇を観、多くの人は指さし眉をひそめるだろう。
あぁ、またあのヲタ共が馬鹿をやっている。救いようのない連中だ、と。
その通りだ。
あの演技者はそう堂々と認めてみせるだろう。
あぁ、あれは“死せる孤高人の会”だ。まったく死んだも同然の・・・
違う!
彼はこう思っている。
俺たちは、生きている。
その熱き魂に、わたしは感動する。
ところで。
わたしはふと思う。
“ちら”とは“恥裸”と書くのであろうか。
・・・失礼、どうでも良いことであった。
あぁ、そうそう。
どうでも良いといえば、実はわたしは忠臣蔵が好きである。
ただし、一般に流布しているイメージの忠臣蔵ではない。
わたしはあの凶行を美しく讃える思考が理解できないからだ。
あれは私闘であり、ただの殺人である。
抵抗を天下に知らしめるべく云々のために行ったのでないことは、大石自身が幕府に書面で念入りに「これはただの私闘です」と前もってはっきり断っていることからも明らかだ。
いまだに何故であったのか突き止められないような理由で斬りつけられ、さらには隠居後に屋敷を四十七士とその親類縁者たちに包囲され、挙げ句の果てに虐殺された老人の吉良こそ哀れというしかない。
かの赤穂浪士は都に潜伏し、その人数が徐々に減りながらも志を忘れず、残った47名で討ち入ったといわれている。
だが、わたしはそういう表現をしない。
事実を感情抜きにとらえれば、仕える御家が取り潰された後、親戚縁者からの仕送りで暮らす食い詰め浪人が彼らである。
士官先が無くなった後、勤め人でなくなった彼らは職を探したのではないだろうか。
新しい職を見つけ、人数は減っていった。
どこにも採用されず、行くところがないままの47人が「もう我慢できぬ」とブチキレたのが吉良邸討ち入りであろうと思うのだ。
そもそもの刃傷沙汰の理由さえ不明であるというのに、そんな傷害事件で罰せられた犯人の仇だと斬られた老人を追い討ちするが如く殺しにいく集団、そんな話を賛美する思考はまったく理解しがたい。
逆ギレにもほどがある。
が、変化に付いていけなかった落伍者たちの歪んだ末路と見るならば。
そこで初めて、わたしは彼らを人間として見られるのである。
ゆえに、わたしは忠臣蔵と呼ばれる殺人事件が好きであると言う。
そんなことを思いながら、わたしは警備兵の来ぬ内に舞台が置き捨てられたエルベランドを後にした。
運営チームからの処分に巻き込まれてもいいと思うほどには、わたしも忠臣蔵が好きではない。
ところで、テロリストと化したのは他人事だけではなかった。
むろん、かの河崎もまた“ええじゃないか騒動”の前菜として、小さな八つ当たり・・・もとい、正当な騒動に暗躍し。
こころならずも、わたしもまた河崎と行動を共にすることになったのである。
この組み合わせは、わたしが“死せる孤高人の会”のサブマスターであるということだけでなく、わたしと河崎との個人的な繋がりによるものでもあった。
ギルメンたちの間では、わたしと河崎は親友ということになっている。
できれば悪友どまりにしてもらいたいが、わたしも大筋ではそれを認めるにやぶさかではない。
実際、わたしと河崎は共に愚かにして崇高な、数々の迷惑事件を起こして楽しんでいたわけであるから。
ギルドでは比較的、軽傷というか症状が軽いと自認しているわたしであるが。
なにげに河崎とは気があった。
わたしには彼のような激しさもなかったし、愚かさも幸いにして彼に及ばなかった。
が、不思議とつるんで他人から見れば無為な、楽しき時間を過ごしてきたのである。
そんなわたしと河崎であったから、この日の昼間は共に恋人たちに襲いかかったのは当然といえよう。
あくまで主導は河崎である。
わたしは最後まで気乗りしなかったのだが、彼は強引だった。
いや、ほんとほんと。
かくして、レムリアのあちこちで恥知らずなカップルたちに、恥知らずな八つ当たりをして回ったわけだが。
あれは深海でのことであった。
寂しき廃のご多分にもれず高レベルの河崎は、次々とペアPTの片割れに襲いかかることを繰り返していた。
進む先にナイトとエルフの姿があれば、彼は相手が羽なしであろうとナイトに襲いかかる。
そしてLvにものを言わせてナイトを葬り、「頼りない男だ、はっはっは」などと高笑いしてエルフに憎まれる役を進んで引き受けていたのであった。
誰に頼まれることもなく極めて自主的に。
もっとも、それは刹那的な見方であって。
わたしたちが見ることはないが、この後おそらく被害者の二人は河崎への文句を言い合うであろうし、それによって一体感が深まっているのではないか・・・と思ったりもする。
そう考えると、「あぁ、自分たちは憎まれ役を引き受けてまで二人の仲を進める演出をしているんだ。なんて良いヤツなんだろう!」と思え、なおさら張り切って辻斬りに邁進できたのである。
が、この日、あってはならない、見てはならないものをわたしは見ることになった。
深海でウィザードとエルフのペアに、血に飢えた河崎とわたしは出会う。
この二人は共に羽化前であった。
ここで河崎はじつに根性の悪いことに、三次羽をばっさばっさと羽ばたかせ、二人の周囲を周り出したのである。
その凶悪にして巨大な羽は、無言であっても威嚇の効果があることは折り紙つきである。
いや、無言であったほうがこわい。
いたいけなペアは狩りどころか、全ての動きを止めて巨大な不審者に怯えるしかできない。
グルグル回りながらバハムートを小魚の如く潰す河崎。
もちろん、いつのまにかGが切れたままになってしまっている二人の羽なしへの配慮ではない。
単純に、大人げない大人の暴力を見せつけているだけだ。
やがて満喫したのであろう、巨大な悪魔はウィザードに襲いかかった。
と、このときリザードキングの電撃が河崎を捉えた。
牽引効果によってズレ、彼はエルフのほうに向かってしまう。
このとき、「やば」と呟き、河崎が足を止めようとしたことにわたしは気づいていた。
彼は男のほうしか狙わない。
それは女性への思いやりなどではなく、単に彼もまた異性に対する気後れに勝てない一人であるというだけの理由である。
だが、そんなことは相手に分かるはずもない。
長年一緒につるんだわたしだからこそ、直感的に分かったに過ぎない。
襲われる、そう思った瞬間、彼女の思考の呪縛が解けたのであろう。
自分たちのGが切れていることに気がついた。
同時に、彼女の背後にバハムートがわく。
河崎にとっては小魚でも、G無しでは羽化前の彼女にとって即死級の敵である。
このエルフはどうしたか。
次の瞬間、彼女はウィザードにGをかけ、バハムートの牙を食らって即死した。
呆然と取り残されたのはウィザードと河崎、わたしの三人である。
我に返り、しばし河崎を睨みつけた後、沈黙を守ったまま微動だにしない悪魔をあとにし、ウィザードは消えた。
おそらく、安全地帯に送還された彼女の元へ移動したのだろう。
少し待ってから、わたしは河崎に声をかけた。
「河崎?」
よく人は誤解するが、河崎は無神経な人間ではない。
鈍感でもない。
むしろ、過剰に敏感で繊細なのだ。
それゆえに彼は理不尽にして愚かな獣と化す。
たとえるならば、痛風持ちの巨大な人喰い熊か。
「・・・ほっといてくれ、と言ったらどうする?」
「無視る」
即答してやった。
「なんでだ」
「“ほっといてくれ”というのは“無言で横に座れ”の意味だ、と聞いたことがある」
「・・・誰だ、そいつは。そんなことを言うのはろくな奴じゃないぞ」
そして、かすかに聞き取れるほどの小声で「だが、そいつに感謝だ」と言った・・・気がした。
なので、わたしは言ってやった。
「自分で言ったことくらい憶えておいたほうがいい」
「・・・俺か。やっぱりろくな奴じゃなかったな」
「ついでに自分に感謝しろ、と言ってやりたいが、ここは紳士的に聞かなかったことにしておこう」
だから、わたしにも感謝したまえ。
「ま、本当は聞こえ・・・」
「紳士的にやってくれ」
オーケイ、そうしよう。
しばらく小魚に咬まれていた河崎だったが、
「木邑」
「ん」
「さっきのエルフ」
「うん」
「俺に襲われると思ってた。だろ?」
肩をすくめて頷いてみせる。
わたしにもはっきりそう見えた。
「それならっ」
「ん」
「なんで先に自分にかけずに、男にGをかけた・・・?」
答えに困ったが、河崎はわたしをまっすぐに見ていた。
返答が欲しいのだ。
「襲われている自分にGをかけたところで、河崎の攻撃に耐えられないのは明らかだ」
「だから、か?」
今度は答えずに黙秘権を行使させてもらった。
すると、さらに質問を重ねてくる河崎。
こういうときはとことん彼に付き合ってやることにしている。
この男なりに弱くなっているときだからだ。
「あの男にそんな価値があるのか。バハに襲われてる彼女を庇おうともしなかった」
「間に合わなかったのかも」
そう答えはしたが、河崎がこの答えに満足していないことは分かった。
いや、実のところ、庇おうとしていようがいまいが、河崎にはどうでもいいことなのだろうと思う。
この男が気にしているのはそんなことではないから。
彼女に見合う男かどうかなんて、河崎自身、どうでもいいと思っているに違いない。
この繊細で愚かな男を傷つけたのは、あくまであのエルフの行動でしかないのだから。
「なぁ、河崎」
「なんだ」
「聞きたがってることの答え、自分で分かってるんだろう?」
河崎は防具の仮面に包まれていたが、その顔がひどく傷ついた、わたしに裏切られたような表情をしていることが確信できた。
しばらく、わたしたちは沈黙した。
河崎はしばらくうつむいた後、呟いた。
「・・・俺も幸せになりてぇ」
そして顔を上げ、わたしのほうに向かって「聞かなかったことにしてくれ」と言った。
わたしはそうした。
〜クリスマスの夜〜
その夜、わたしは小さな不安と共にロレンシアに向かった。
“ええじゃないか騒動”を起こすと宣言した河崎。
だが、彼もまた人の子である。
その孤高の魂は傷つき、今頃は地に堕ちているのではあるまいか。
そんな疑念がわたしに取りついていた。
河崎は果たしてロレンシアに現れるのか。
現れたとして、彼はまだ“ええじゃないか騒動”を起こす意志を失わずにいるのだろうか。
そして、そもそも“ええじゃないか騒動”とは何をする気であるのか。
あぶくのように次々と湧き上がる疑問をつとめて無視しながら進んでいると、街角に小崎の姿が見えた。
まるでアンケートのように、道行くカップルたちに何やら声をかけている。
近づいてみると、やりとりが聞こえてきた。
「付き合ってるんですか! あぁ、どうりで・・・」
そして、満面の笑みで小崎は二人に言う。
「もう少しでベストカップルだと思いました!」
いや、もう少しって。
何が足りないの。
ねぇ、何が。
何か足りないのなら言ってよ。
そうツッコミたくなっているカップルの心が読めたが、小崎の輝く満面の笑みがそれを封じ込めている。
小崎のほうもわたしに気づいたらしい。
駆け寄ってきて、
「恋人たちをモキュモキュさせてやってるんですよ!」
「・・・なるほど」
聞けば、“死せる孤高人の会”のギルメンたちは各地で活躍を繰り返しているらしかった。
たとえばAVをゲリラ上映する一派。
もちろん、AVはアニメビデオの略ではない。
ただし、カーテンを画面にかける。
そして、音声だけでクイズ演劇を行っているのだという。
即興で建てられたプレハブ。
その中に響くあられもない声。
カーテンが被せられたTVの前には、あたかもクイズ番組の解答者のような三人がいる。
一人が明らかに評論家の口調で、
「いやはや、この動物の如き嬌声を聞けば素人にも分かりますな。これは後背位ですよ」
和服姿の男が異を唱える。
「馬鹿な! 話にならん。この荒々しく乱れる中にも隠しきれない高貴の香り・・・騎乗位!」
三人目の若者が言う。
「はっ。お二人とも何も分かっていらっしゃらない。これは基本中の基本、正常位に決まってるじゃないですか?」
そして流れるドラムロール。
バッとはぎ取られるカーテン。
司会者が重々しく力を込めて言う。
「伊野さん、正解・・・!!」
お前ら、馬鹿だろう。
そして一幕終わると、警備兵が来る前にゴキブリの如く四方に散っていく。
“正常”も“騎乗”も禁止語句には指定できまい。
“位”はなおさらだ。
たくみに禁止語句“悪いよ”発動を避けているあたり、実にタチが悪かった。
内容はどう考えてもアウトなのに。
ルールとしても、マナーとしても、そして人としても。
救いようのないギルメンのために心の中で涙を流しながら、わたしは河崎との待ち合わせ場所へと向かった。
謎に包まれた世界革命、“ええじゃないか騒動”のために。
わたしの心配は杞憂であった。
ロレンシア酒場の出入り口近くに立っている河崎の姿。
彼はわたしの姿を認めると、軽く手を上げて「よぉ」と挨拶した。
わたしは彼に挨拶をかえし、河崎の横で壁にもたれた。
「やるの?」
河崎はにやりと笑って、「もちろん」と返してくる。
その不敵な表情はいつもの河崎だった。
ならば、わたしはこの男に付き合ってやろうと思った。
次第に往来の人が増えてくる。
普段は立ち並ぶ露店と、それを覗いて回るひやかし半分の通行人だけの広場が、今夜は大都会の往来のようだった。
一夜限定の不夜城だ。
突然、河崎は通りがかった一人のナイトに「ええじゃないか」と呼びかけた。
声をかけられたナイトは理解できなかったのだろう、「ええじゃないか・・・?」とオウム返しに眉をひそめる。
すると、河崎はまた違うナイトに声をかける。
「ええじゃないか」
今度のナイトは気味悪そうに足を早めてしまった。
が、河崎はひるまず隣りにやってきた移動露店のナイトに向かって、にやりと笑みを浮かべて声をかけた。
「ええじゃないか」
すると、まるで怪しいブツの取引が如く、相手のナイトもニンマリと笑って「ええじゃないか」と返してきた。
わたしの視界の端で、ナイトが通りがかった見ず知らずのウィザードに囁いているのが見えた。「ええじゃないか」
わたしも参加する。
最初に声をかけたエルフ美女は高慢そうにきっぱりとした拒絶を示し、三次羽の残光を優雅に残して立ち去ってしまったが、次に声をかけたエルフは「えじゃないか♪」とノリが良かった。
一緒にいた友達同士で「えじゃないか、ええじゃないかっ♪」とやり始める。
意味が分からないなりに、楽しくなってしまっているらしい。
ひとたび感染源が増えれば、あとはネズミ算式であった。
あちこちで「ええじゃないか」と声がし、「ええじゃないかw」と見ず知らずの相手が答える。
たちまちロレンシア広場のあちこちで「ええじゃないか、ええじゃないか」の声が乱立した。
「ええじゃないか、ええじゃないか!」
勝手にヴァリエーションも増えていく。
「ええじゃないか、バラエルでもえじゃないか!?」
「ソロでもえーじゃないか!!」
「えじゃないか、えじゃないか♪ 廃でもえじゃないか!」
各々が望むこと、心の内に秘めてきたものを吐き出していく。
だが、それは吐き捨て投げつける形ではなく、陽気な熱に包まれた形で。
「ええじゃないか、ええじゃないか♪」
「えじゃないか!」「裸でもええじゃないか♪」「えーじゃないか!?」
「通常でもええじゃないか、クエでもええじゃないか」「おんぶにだっこでええじゃないかっ、甘えてええじゃないか!」
「自慢してもえーじゃないか」「僻んでもでもええじゃないか♪」「劣等感もえーじゃないか、優越感もえーじゃないか」
「チャット死もええじゃないか、迷子でもえーじゃないか?」「好きな装備でえじゃないか、好きなステでえじゃないか」
「ええじゃないか! ええじゃないかっ♪」
人々は心の内に衝動を沈めている。
それは不満であったり、願いであったりする。
心の水底に沈殿し、いつのまにか水泡も消え、息をしなくなったように見えていた“それら”。
この夜、それらが一斉に息吹を取り戻し、水面へと飛び上がった!
ふと、わたしは噴水の向こうで「ええじゃないか」と連呼しているエルフに気づいた。
それがあの高慢に見えた三次羽エルフであることに気づいたとき、なんだかわたしは全てのことを許せるような気分になった。
一切合切、すべてのことが。
もちろん錯覚だ。
勘違いだ。
それでも・・・ええじゃないか?
私も声を張り上げ、「ええじゃないか、ええじゃないか!」と連呼する。
隣りでは見かけたこともないギルドのウィザードが「ええじゃないか」、その向こうには放置と思われていた露店が「ええじゃないか」、さらに「ええじゃないか」連呼され「ええじゃないか」踊り狂い、「ええじゃないか」発散させ、「ええじゃないか」笑うミュティズンたち「ええじゃないか」。
そこには「ええじゃないか」恋人たちの「ええじゃないか」空気では「ええじゃないか」なくなった「ええじゃないか」世界が「ええじゃないか」あって。
「ええじゃないか」それは「ええじゃないか」わたしたちの「ええじゃないか」世界「ええじゃないか」だった。
この夜、“ええじゃないか騒動”はロレンシアをあふれ、その奔流はレムリア全土にひろがった。
BCでは「2PTでもええじゃないか」「ペアでもえじゃないか」、さらには「3PTでもええじゃないか」とローカルルールがおびやかされ。
その次の時間に開催されたBCでは、恐ろしいことにペア四組と三人PTが一組、ソロが四人となった。
ソロの内の三人は人数制限で分断されてしまったペアの片割れだという。
その内の二人は独り身になった同士でくっついてしまった。
置き去りにされた三人でもまた、新しいカップルが成立してしまったのではあるまいか。
待ち合わせ時間をすっぽかされた恋人が、その場で八つ当たり気味に新しい出会いに飛び込むように。
そして、BC内でくっついた二人と、デビアス教会でくっついた二人は元々違うペアのそれぞれで、さながら四次元キューブの如く複雑怪奇なカップリングになったことを信じて疑わない。
そのほうが面白い。
ちなみに、三人PTの一人は露店で“俺サマ、添え物。”と出していたという。
彼は勇者だ。
最後までソロであぶれた魔剣士は“急募、愛。”と露店して突貫、橋の上から「間に合いませんでしたぁっ!!」と叫んで落ちていった。
なむー。
もちろん、DSのほうでも同じ状況が発生したことは想像に難くなく、こちらは迷子で別れ別れになったペアも相当いたであろうと想像する。
いや、期待する。
夏祭りの混雑にはぐれた恋人たちの如く。
失った不幸は見つけた幸せへと派生していき、末広がりに人は生きていく。
そういうものなのだろう、とわたしは思わないでもない。
わたしは“ええじゃないか騒動”に熱狂するあまり、いつの間にか河崎を見失っていることに気がついた。
ふと横を見ても彼の姿はない。
探そうにも、どこを見ても「ええじゃないか」である。
「まぁ、いいか・・・いや、ええじゃないか?」
そんなわけのわからない独り言をもらし、喧噪から外れて一休みすることにした。
眼前に広がるのは祭りに熱狂するミュティズンたちの姿。
この祭りだか暴動だか定かでない騒動が、元は河崎の「ええじゃないか」の一言であったとは誰に想像しえよう?
ふと、わたしはやはり喧噪から少し離れた場所にいる二人に気がついた。
近寄っていく。
GM風と、助手の亀だった。
誰かが通報したのか、それとも運営チームで気がついたのか。
出動はしてみたものの、目の前の“これ”にどう対処したものか判断に迷っているようであった。
悪意なき暴動、無軌道と笑顔の集団は果たして処罰に値するのであろうか。
値するなら、どうすればよいのであろうか。
歩くルールブックとまで言われたGM風にも判断がつかない難事なのだろう。
わたしは彼女たちの前まで歩いていって、挨拶するように自然に言ってみた。
「ええじゃないか」
亀が困ったような顔で眉をひそめる。
と、少し間をおいて、GM風がため息をついてから小声で何か言った。
彼女の横にいた亀がぎょっとしたような顔で振り向いたが、わたしには何と言ったのか聞こえなかった。
ただ、そのとき“一文字の御使い”である彼女の唇に浮かんでいたのは、笑みにひどく近いものであったように思う。
わたしはなんだか無性に笑い出したくなり、幸せな気分でロレンシアを後にした。
〜エピローグ〜
「お邪魔だろうか?」
デビアスの北東にある焚き火、そこに彼は座っていた。
彼の周りを火の粉が踊っている。
わたしが声をかけると、河崎は顔を上げ、驚いたようにこちらを見た。
「いや・・・そうでもない」
なら、よかろう。
「ん、差し入れ」
瓶を差し出してやる。
桜酒。
ほのかに甘い口当たりと、強すぎない香りがわたしは気に入っている。
自分の分をマイグラスに注ぎ、花見ならぬ雪見で呷った。
今夜もデビアスには雪が降っている。
いつものことであるのに、なんだか風情を感じて、再びわたしはグラスに口をつけた。
「木邑」
甘い液体を口に入れたところだったので、返事はせずに河崎のほうに顔を向ける。
「好きだ」
「ごふぁっ!?」
わたしは盛大に吐血・・・いや、吐酒した。
あまりの衝撃に何も言葉が出ず、わたしは思考が停止したように口が半開きの間抜けな顔で河崎を見つめた。
「そ、そんな目で見るな! 違うんだ。俺だって男にこんなことを言うのはおかしいと思ってる!!」
河崎は真っ赤になって怒ったように釈明する。
「そうじゃなくて、その・・・お前といたら楽しいし、俺が楽しいときにはいつもお前がいてだな・・・」
混乱しているらしい。
「だ、だから・・・他に言いようがないっ!!」
そして、わたしが初めて見る表情でもう一度言った。
「好きだ」
「・・・」
わたしは恋愛活動に興味が無い。
性欲に操られて醜態を晒しながら駆け回る、周囲の恋愛崇拝者たちが理解できない。
けれど。
わたしは思う。
河崎はわたしをネカマだと知らずに好きだと言ったのだから、これはひょっとして・・・アリ、なのかもしれない。
そんなことを考え、わたしはくすりと笑って立ち上がり、見つめる彼の前を横切ってみせ、デビアスの夜空を見上げた。
今宵はクリスマス、聖なる夜。
昏い天から白く輝く雪が降ってくる。
今、この身体は男のものだけれど。
見つめ続けている河崎の視線を感じ、わたしはそっと微笑んだ。
雪よ、私の髪を飾れ。
※今回に限らず今までほぼ全てについて共通ですが・・・
後書きコメントや外伝などは、上の“本編”“後書きコメント”などをクリックして下さいね♪
←↓好印象を持って下さったら、是非♪(小説タイトルを記入して頂くと評価:☆に反映されます)
|