短編小説っぽいもの
へびへびがみ。 --
本編
『へびへびがみ。』
「かかさま」 「ぬ?」 それは風光明媚と名高い、いや名高くなって欲しいとビスクっ子が推す、かのビスク港を散策していたときのことであった。 どこまでも広がる大海原を臨み、これまたどこまでも広がる晴空の下、ただ静かに海風が人を包んでくれる。 交通の便からか人気が少ないが、ワシはここが嫌いではない。 ここに集うのは王道から外れ、それでいて顔を下げぬ者たちだからじゃ。 自由人の如く釣り糸を垂れ、飄々と時を刻むのもまた楽しからずや。 釣り上げた獲物をその場で調理するのも醍醐味であろう。 名高きシェル・レランの拠点でもあるしの。 そのわりには料理露店が少ないが・・・まぁ需要あるところに行くのも仕方なきことかのう。 望む者がおり、それを知れば赴くのもまた人情というものじゃろう。 うむうむ。 などとひとりごちておったらの、なにやらワシの裾を引くモノがおるのじゃ。 はて何であろうか、どこかに着物の裾を引っ掛けてしもうたかと思って見やれば、なんとそこには童がおった。 しかも、その外見がまた珍妙な。 いや、ワシが珍妙と言うのはおかしいかの。 その幼い童は近年まれに見るおかっぱ頭。 浴衣というには粗末なものでその身を包み、これで手毬でも持っておれば完璧であったろう。 いや何が完璧かといわれても困るがの。 とにかく、そのような外見の幼い童がワシの着物の裾を引いておったのじゃな。 それだけなら「おぉ、なんじゃ。童は迷子か?」と話しかけるところじゃが、その童の第一声にワシは愕然とした。 「かかさま」 「・・・ぬ?」 かかさま、とはつまりあれじゃろうか。 いわゆる母上、巷でいう“ままん”というやつであろうか。 残念じゃがワシは永遠の十六歳、さらには乙女の中の乙女であるからして、この童がワシの子供であるはずがない。 「あー、童、童」 「あい」 ふむ、返事は素直じゃの。 「ワシはおぬしの母上ではないのじゃ」 「かかさま」 「うむ、かかさまでもない」 「かかさま」 これはいかぬ。 堂々巡りじゃ。 ここは一つ発想をかえてみるのじゃ。 これはひょっとして“かかさま”=“お母様”という先入観が悪かったのであるまいか。 そうたとえば、カカ様ではどうであろう。 カカは固有名詞じゃ。 この童の生まれた地方では絶世の美女にして乙女のことをカカと呼ぶ風習があったのやもしれぬ。 ・・・一寸、無理があるかの。 「おぬしは迷子か?」 童は困ったようにこちらを見ておる。 しかし、どうも肯定の意味には取れぬ様子なのじゃな。 ワシの見るところ、本人も判断がつかぬようなのじゃ。 迷子ではないと言えぬ一方、童の中の迷子という観念から何かが違う。 そんな境遇におるようなのじゃ。 はて。 この見立てが正しくとも、それはそれで正解が浮かばぬ。 困ったのう。 うむ、こうして悩んでおっても仕方が無い。 ちと薄情かも知れぬが、この地のガードに任せようかの。 いわゆる“おまわりさん”というやつじゃと思うてくれればよい。 さっそく、ワシは童を連れてトコトコとガードの所へ向かったのじゃ。 やや曇った白銀の全身甲冑を着込んだビスクガード、海の日差しではつらかろうにご苦労なことじゃのう。 「あー、これこれ」 「おぉ、これはミシャグジー様! ご機嫌うるわしゅう何よりにございまして候」 ・・・無理をせんでも良いぞ? 「うむ、くるしゅうないのじゃ」 なにやら嬉々とした様子でこちらを見ておる。 ひょっとすると人恋しかったのかもしれぬの。 話し相手もおらなそうじゃし、退屈そうじゃしのう。 「じつはの、この童が・・・お?」 「お?」 「ぬ・・・はて」 きょろきょろ。 はて? 「おかしいの。さっきまでワシの横におったのじゃが・・・」 「は、はぁ」 「童がの。おそらく迷子であろうと思うのじゃが・・・どこにいったかのう」 きょろきょろ。 む。 ・・・おった。 あれか。 昼じゃというのに、茂みの中から爛々と光る目が二つ。 忍者か、おぬしは。 「すまぬが、ちょっと待ってくれるかの? 連れてくるのじゃ」 すまぬの、とガードに断ると、 「なんの! 一日中待つのだけが我々の仕事のようなものですからな。しかも、何を待っているのかすら分からない・・・」 最初は胸をはって答えたものの、途中から何やら不安に襲われたかのように声に力が抜けていっておる。 あぁ、私は一体何をしているのか、何のために生き、何のために立っているのか・・・などと独り言を呟きだす始末。 これはかなり重症じゃの。 立っておるだけに見えて、じつは過酷な職場かもしれぬ。 主に精神的に。 「う、うむ、ご苦労さんなのじゃ」 と童のほうに向かおうとしたところ、ガードが突然号泣しだす。 「な、ななな、なんじゃ! 何があったのじゃ?」 さすがにワシも仰天し、問うたところ、 「う、嬉しくて・・・」 「なぬ?」 ガードは涙を滂沱しながら、 「ご、ご苦労なんてねぎらってもらったの、どれくらいぶりか・・・」 いや、そこまで感動されるとワシのほうが後ろめたいのじゃが。 社交辞令のような一言が、どうやらガードのギリギリの心を決壊させてしもうたらしい。 アクセルも自分の巨像なんぞ建てる前に、仕えてくれる者たちをねぎらうことを憶えたほうが良いのではあるまいか。 「一日中、近寄ってくるものといえばカモメとか」 それは友達もできなそうじゃの。 「遠くにシェル・レランの人間が走り回ってるのを見ても、持ち場を離れられないから見てるだけ」 なんだか友達の輪に入れない転校生のようじゃの。 「それなのに美味しそうな匂いだけは風に乗って」 い、痛々しくなってきたのう。 「今をいくら耐えても、この世界はラーナ・タングンが無いと時を繰り返・・・」 「これっ、世界の秘密に触れるでない!」 「す、すみません」 油断も隙も無いのう、まったく。 「たまに、たまぁに人が通っても背景にしか見られず」 あわれな。 「返事をしたらしたで、“わっ、動いた”・・・自分から話しかけておいて、どういうことですか!」 いや、ワシに言われても。 「もうイヤだ・・・こんな暮らし・・・」 「・・・」 士気は底をつき、さらに地面に潜ろうかとしていたガードであったが、不意に顔を上げ、 「ですが!」 「お、おぉぅ?」 なんじゃ、なんじゃ。 「ミシャグジー様にねぎらってもらえて、これであと一週間は戦えます!!」 「・・・」 あー、それはつまりじゃな・・・ 「・・・一週間後にまた来いと?」 そ、そんな目で見るでないっ。 捨てられた仔犬のようなガード。 くぅん、くぅん。 「・・・差し入れに、うどんでも持ってくるかの」 安いし。 「あ、月見が希望です」 ぬ、高くしおった。 うどんでいいではないか、うどんで。 美味いぞー。 はふはふ。 「少しでも防御を高くしておかないと不安で・・・いつ襲われるか分からぬガードの宿命と思って、ここは一つ!」 来るのはカモメだけと言うておったではないか。 ま、まぁ月見にするくらい良いがの。 それはそうと、童じゃ。 きょろきょろ。 むぅ、まだ同じ茂みで忍者をしておる。 近づいてみる。 ガサガサっと移動して距離をとってきおった。 にも関わらず、逃げるでもなくこちらをじっと見ておる。 何やら野良猫を相手にしている気分じゃが・・・ほれ、これ食うかの? ふりふり。 おぉ、きたきた。 やはり童、空腹には勝てなんだようじゃの。 「よう聞くのじゃ、童」 「あい」 「おぬしをこれからガードのところへ連れていくのじゃ。こわがることはない、きっとおぬしの母上を探してくれるはずじゃ」 話し相手にはされるかもしれぬが。 「よいかの」 じゃが、童はぶんぶんと首を振る。 おかっぱが広がり、その必死なさまにワシはため息をついた。 「のぅ、童。母上に会いたくはないのか?」 「あいたい」 うむうむ。 「なら、ガードのところへ一緒にゆこう」 ぶんぶん。 やれやれ、困ったの。 「かかさま」 「ワシはおぬしの母上ではないというのに」 「かかさま」 ・・・困ったのう。 「見つかるまで、ワシも一緒に待ってやろう。な? さぁ、ゆくぞ」 今度は童の手をひき、ガードのところへ・・・ 「っ!?」 ぐ。 ぬ。 「・・・童」 がじがじ。 「そんなに腹が減っておるのか? ワシは食えぬぞ?」 童は驚くほど軽く、ワシの手にブラーンと垂れ下がっておる。 それは一見、可笑しくも見えたであろうが。 「・・・」 童の顔を見て、ワシは息を呑んだ。 なんと。 涙と鼻水にぐしゃぐしゃになった顔で、それはもう必死の体で歯をたてておったのじゃ。 それは慟哭であった。 童ゆえに語る語彙を持たず、その行為をもって主張していた。 単に嫌とか、そういう次元のものではなかった。 この激しさは、この頑ななまでの拒絶は何からくるものか。 「! ・・・」 そのとき、ワシは気づいたのじゃ。 今まで気づかなんだのは何たる不覚であったろうかの。 童の影。 それは明らかに人の子のものではあらなんだ。 ワシの腕から垂れ下がった、紐のように長いだけの影。 「おぬし・・・」 蛇、じゃったのか。 化身の術を扱いきれておらぬゆえ、影に本性が出たのか。 否、術を学びきれなかったのではないやもしれぬ。 学んだのではなく、必要であるがゆえにその身を変えようとしたか。 この童はワシを“かかさま”と呼んだ。 蛇神のワシを。 いくら人が少ないとはいえ、他に人はおろうに。 なぜ、ワシであった? そして、このガードへの恐怖。 それはつまり、この童の親は・・・ 「もう、よい」 がじがじ。 童は噛む力を緩めなかった。 それは生にしがみつくこの子の魂そのものじゃったのだろう。 生きたいと。 そう願い、文字通り死ぬほど怯えながらも捨てきれぬのじゃろう。 生きることを。 親を失い、それでもなお生きねばならぬ。 いや、生きたいと願う。 それが至極当然の摂理、童であろうとそれは変わらぬ。 「もう離してもよい。もう・・・ガードのところへ連れていこうとはせぬゆえ」 がじがじ。 生きたいか。 それほどまでに。 おぬし、どれほど恐い目に遭ったのじゃ? その齢で親を失うことは、世界を失うことに等しいであろうに。 それでもおぬしは願うのか? 願ってくれるのか? この世界に生きたいと、そう思うてくれるのか。 「・・・我らは泣くためにつくられ、悲しむためにつくられたるにあらずや」 そう言うたのは馬場胡蝶であったか。 のぅ、童よ。 そして、ワシは童を抱き締め、髪を撫でてやりながら、二人でビスク港を後にしたのじゃ。 ビスク東から中央への途中、いや正確には少し寄り道じゃが、木工関係の広間といえば分かるかの。 ここには釣掘があり、少ないながらも釣り人が糸を垂れる姿を見かけることができる。 力一杯噛みついたせいか、泣いたせいか、あるいは元々じゃったのかもしれぬが、童が腹を空かせておるようじゃったのでな。 釣った魚の一匹でも所望できればと思ったのじゃが・・・馴染みがおれば良いのじゃがの。 おぉ。 あの後ろ姿。 せめて鯉のぼりにしておけばよいものを、魚を威嚇するごとく鮫のぼりを背中にする釣り人。 見覚えのある釣り人じゃった。 が、人は人じゃ。 この童は大丈夫であろうか・・・一応、言い聞かせてみる。 「きゃつはワシの馴染みでの。こわいことはないから、少しの間、我慢してくれい」 「あい」 ふむ。 ガードのときと違い、すんなりと頷いてくる。 武装した冒険者じゃと分からぬが、一般人然とした人ならば大丈夫なのかもしれぬな。 思えば、人の姿に化身したくらいじゃ。 この童にも何か人の姿に思い入れがあるのやもしれぬ。 やや人見知り気味ではあるが、さほどには物怖じした様子もなく童も釣り人のところへ歩いてゆく。 ・・・きゃつが頭にタイヤキキャップを被っているせいかもしれぬが。 「あ、ミシャさん! いやぁ、お久しぶりっす」 「うむ、久しいのぅ。息災じゃったか?」 「あっはっは、相変わらずですよ」 と快活に笑い、ごそごそと籠を取り出してきて、 「ぜんぜん釣れないのも相変わらずっす。あっはっは」 いや、そこは笑うところではあるまい。 この男、釣りの腕前はイマイチ・・・いやイマサンくらいじゃが、料理の腕前はピカイチというやつなのじゃ。 何か釣れておれば、この童に馳走してくれぃと期待したのじゃが。 「相変わらずじゃのう」 「相変わらずっす」 鮫のぼりが悪いのではないか? と思ったが、この男なりのこだわりがある気がしたので言わないでおく。 「ところで・・・」 「うむ?」 「その子は?」 あ。 「おぉ、そうじゃった。紹介がまだであったの」 「ミシャさんの子供じゃないっすよね・・・?」 ほぅ。 この永遠の十六歳に? 泣く子も黙る乙女の中の乙女に? 「よう言うた。ワシが思うておったより、お主は勇敢な男じゃのう」 にこにこ。 「あ、いや・・・違うだろーなー、っては思ってましたよっ、ほんと!」 はて、何を怯えておるのじゃ? 分からぬのぅ、不思議じゃのぅ。 ふふふ。 うふふふふ! 「あ! そうか、GMの新人さんっすね!?」 なぜか急に汗をかきだした釣り人じゃったが、まぁそれはおいておくとしてじゃ。 答えようとしたワシより早く、童が口を開いた。 「かかさま」 その瞬間、釣り人の表情に絶望が降りる。 最前線から基地に戻ってきたのに、受付の事務員から銃撃を食らったようなと言えば想像できようか。 「あー・・・ワシの話を聞くのじゃ」 「も、もちろんっすよ!」 こくこく、と激しく首を上下に釣り人。 童のほうを向き、 「ワシはの、おぬしの母上では・・・」 と、言いかけたとき、童が爆弾を落した。 少し考えたように首をかしげた後、ワシを指差して 「にごーさん」 「Σ( ̄□ ̄|||」 ぴしっ。 「に、に・・・」 お、おぬし・・・今、何と言うた・・・? ワシに向かって、永遠の十六歳、乙女の中の乙女に向かって・・・こともあろうに・・・に、ににに、二号さんじゃとぉっ!? 「あ、あああ、あ・・・あの、ミシャさん?」 こ、この・・・この・・・ 「俺、何も聞いてないっすから!」 命乞いにも等しい勢いで全力主張する釣り人。 「ふ、ふふ・・・」 「み、ミシャさん・・・?」 く、くくくくっ。 しょうがないのぅ。 ワシはこれでも同情しておったのじゃが。 飼い犬に手を噛まれるとはこういうことかのぅ。 やれやれじゃのぅ。 「躾は、必要じゃの」 「Σ」 うむ、ワシをかかさまと呼ぶ以上、最低限の躾をするのはおかしいことはあるまい。 いや、むしろ必要というものじゃ。 「あ、あの・・・ミシャさん?」 あ? なんじゃ? 「あ、あんまり手荒なことは・・・ほ、ほらまだ子供ですし・・・」 人の家庭に口を出すでないわっ。 ええい、わっぱ! そこへなおれぃ。 うりゃあぁぁぁっ。 「ちょ! ミシャさんっ!?」 童は悪い子じゃのぅ。 あんなことを言うとは、ほんに悪い子じゃ。 ぐいっ。 「Σ(゚Д゚;)」 ひょいっ。 「Σ(゚Д゚;≡;゚д゚)」 うりゃうりゃうりゃ。 「・・・」 うわははははは。 へびがみなのじゃー。 「(((;゚Д゚))ガクガクブルブル」 ふぅ、こんなところかのう。 「・・・」 いやぁ、良い汗をかいたわ。 さて。 「では、そろそろおいとまするかのぅ」 「・・・お、押忍」 返事をしたのは釣り人じゃった。 む? 「ほれ、そろそろゆくぞ? 何か美味いものでも買うてやろうほどに」 なぜか大の字になって安眠している童をひょいっと持ち上げ、ワシはビスク西広場へと向かったのじゃった。 幸い、この時間は人が少なかった。 いや、人自体はおるのじゃが・・・露店の売り子は自動人形と化し、広間になにやら幽鬼的な趣さえ漂う時間帯というものあっての。 今はまさにそのときじゃった。 これはこれで恐い気もするのじゃが、この童を連れている今はもっけの幸い。 最適というものじゃ。 それでも武器防具の売り子はひどく恐いらしいので、主に食料品街へと向かうことにする。 露店の数たるや、まさに選り取りみどりじゃ。 ここはビスクの中でも露店のメッカ、このダイアロスで最も露店の多い場所といってよかろう。 広間中央にはギの人と呼ばれる染物屋などもあり、露店といっても固定はそれなりに有名なものじゃな。 西銀側への壁には、とある軽い刀剣の老舗などもあるが・・・まぁ今日のところは関係ないの。 さて、何か美味なものはあるかのう。 ふむ、安いとはいえ、さすがに蛇串はまずかろうしの・・・選ぶのに素材制約があるとは、なんだか“いすらむ”の人みたいじゃのう。 蛇神のワシが他人事のように言うのもなんじゃが。 これはどうじゃろうか。 ぱくっ。 ふむふむ。 む、これも気になるの。 がぶっ。 いや、これもなかなか・・・。 ばくっ。 もぐもぐ。 むしゃむしゃ。 ばりばり。 がりがり。 あ。 ワシは蛇神なので基本は一口一呑みなのじゃがの、大きな料理だと見て驚く人も多くてのう。 それで自重して、人前では皆に合わせた食い方をしておるのじゃ。 あしからずなのじゃ。 「お?」 これはいかん。 童を見失ってしもうた。 ワシの腹は膨れたが、これでは何のために来たのか分からぬ。 いや、そもそも童から目を離すとは・・・ミシャグジー、一生の不覚なのじゃ。 きょろきょろ。 慌てて周りを見渡し、露店の台の下や、垂れ幕の裏など覗いて回る。 おらぬ。 ぬぅ、まずい、これはまずいのじゃ。 仮にも蛇神ともあろうものが、食欲に我を忘れてかような失態を演じてしまうとは。 これが吹聴されれば、リザードマンの鱗集めでうなぎのぼりであった蛇神の権威が地に落ちてしまうことにもなりかねぬ。 いや、もちろんあの童が心配なのは言うまでもないがの。 ほんとうじゃぞ。 なんにせよ、まずい、まずい・・・む! すたたっ。 「な、なんじゃ・・・こんなところにおったのか」 童は食料品街ではなく、向いの衣料品街、そこの装飾品露店の前に座り込んでおった。 しかも、ワシが話しかけても返事もせぬ。 何を夢中で見ておるのかと思えば、 「ほぅ、七夕の髪飾りじゃの」 これはこれで可愛いとは思うのじゃがの、いささか大雑把な作りの印象を与えてしまい、人気は今ひとつの品であるな。 もっと小さい星か、星屑が帯のようになったものであったほうが人気が出たかもしれぬが。 ともあれ、童はこの髪飾りに目を奪われておるようじゃ。 ふむ。 「のぅ、買うてやろうかの?」 童がばっと顔を上げ、目を見開いてこちらを見てくる。 なんじゃ、聞こえておるのではないか。 「欲しいのであろ?」 ぶんぶんと頷く。 「なら、買うてやろうほどに。これをくれぃ・・・と、今は魂が抜けておるかの」 自動人形と化したような露店主に代金を払い、髪飾りを受け取る。 「ほれ」 ぬ? どうしたことか、童は今度は首を左右に振って嫌々をしておる。 むむ? 「あー・・・これが欲しいのではなかったのか?」 ぶんぶん。 縦の動き。 「いらぬのか?」 ぶんぶん。 横の動き。 ふむ。 「欲しいのであれば遠慮することはないのじゃ。何でも買うてやるつもりはないがの、まぁ一度くらいは・・・」 と髪飾りをつけてやろうとすると、やはり首を嫌々とする。 かといって、興味が無いわけではないらしく、むしろ視線は髪飾りから片時も離れない。 「ぬ」 むむぅ。 困ったのう・・・これはどう解釈したらよいものかの。 何度か試したが同じことの繰り返しじゃ。 仕方が無いので返品しようとすると、 「・・・魂抜けではなかったのか?」 露店主がひどくかなしそうな顔を向けてくる。 いや、この童が受け取らねば買った意味が無いのじゃが・・・。 そんなに処理に困っておるのか? ワシは大きくため息をつき、仕方なく自分の髪にかんざしのように髪飾りをつけることとする。 ・・・なんだか納得がいかぬのじゃ。 それからビスク城門を抜け、ミーリムへと足を向けた。 城門すぐは小蛇を獲物とする冒険初心者も多いため、肩車して走り抜ける。 空に浮かぶ雲の話などして気をそらしたつもりじゃが、どうかのぅ・・・案外、童のほうで察してくれたのやもしれぬな。 幼くとも子供というのは聡いものじゃ。 人生経験によって人は厚みを増すが、その厚みが鈍さに繋がることも少なくなかろう。 ともあれ、城門前の荒地を抜け、丘陵地帯まで来たので童をおろして進むことにする。 ほれ、乙女じゃからの、疲れるのじゃ。 おろすときに名残惜しそうな気配を感じ、その様子に少し嬉しくもあったがの。 少しだけじゃぞ? さて、二人で進んでいくと川に出たのじゃ。 時間帯によってはライオンなども姿を見せる場所じゃが、今は安全な時間帯なのじゃろうか。 五人ばかりの小童たちが川遊びをしておった。 見やれば、ワシをかかさまと呼ぶ童と齢も似たような頃か。 ふぅむ・・・ガードは駄目じゃった。 武器防具露店も駄目じゃった。 タイヤキキャップの釣り人は大丈夫で、装飾品の露店主も大丈夫であったの。 うぅむ。 これは好機、か? 子供たち同士であれば、案外打ち解けてくれるやもしれぬではないか。 気質にもよろうが・・・ 「あそこで遊んでおる小童たちが見えるのかの?」 「あい」 童の前にしゃがみこんで、目を見て言い聞かせる。 幼い子供は同じ目線で語ることが大切なのじゃ。 迷子を連れるとき、手を握っていても子供を見てやらねば泣き出してしまうであろ? 不安感という空気を感じてのことであろうが、幼い子供というのは空間や雰囲気すら目に見えるものなのじゃろう。 厚みを増すことで感じられなくなっていく才か。 じゃがの、自分にもかつてはそれがあったことを忘れず、想像力を持って子供には接してやらねばならぬのじゃ。 でなければ・・・もう分かるの? 食い気に心奪われて子供を見失い、はぐれたりするのじゃ。 い、一般論じゃぞ? ・・・反省しておるのじゃ。 「一緒に遊びたくないか?」 ぶんぶん。 「そうか。なら・・・行ってみるかの?」 「あい」 やれやれ。 ワシの心配は杞憂だったようなのじゃ。 あっという間に馴染み・・・というか、当たり前のように加わって遊んでおる様子を見て、なんだか気が抜けてしもうたぞ。 何やら皆でわきゃわきゃと遊んでおる小童の集団を見ても、どれがあの童か分からぬくらいじゃ。 ・・・いや分かるか、あのおかっぱと浴衣は。 まぁそれくらい仲良く遊んでおるようじゃということじゃ。 子供は遊ぶ天才と言ったのは誰であったかのう。 願わくば、天に授かった才を失わず生きて欲しいと思うのじゃ。 ・・・む? 小童どもが何やら作り始めたようじゃの。 長い草の葉を手折って・・・ふむふむ? ほぅほぅ。 あれは笹船、じゃな。 やはり器用さがものをいうのか、出来不出来がどうしても出るのう。 頑張れ頑張れ。 そこじゃ。 そう、そこを折って・・・今じゃ、そこじゃ。 あぁ、惜しい。 ぬあぁ・・・ぐ。 み、見ているだけで手に汗にぎるとは、子供というのは奥が深いのう。 お。 なんじゃ見事な自作の笹船を、どうしても上手く作れずにおる者に差し出しおったではないか。 うむ、本人が上手に折れるようになるのが一番であろうが、なにこの齢の小童としてはなかなか見所のある心持ちの童子じゃ。 天晴れ、少し感動したのじゃ。 どれ、少し感動したので、少し協力してやろうかの。 ゆくぞ。 なむなむ! へびがみなのじゃー。 「・・・うむ」 自然の川の流れのままでは、すぐに川下へ流されてしまうでの。 一箇所、部分的に巡回する流れを創ってみたのじゃ。 まぁ半分は普通に流れておるし、この程度なら弊害もこれといって起こらぬじゃろう。 ワシの目には笹船を流しておるだけにしか見えぬが、小童たちにはまた違うものが見えておるのじゃろうか。 夢中になって騒いでおるし、ワシは少し昼寝・・・もとい、瞑想でもするかの。 なむなむ。 むにゃむにゃ。 小一時間もしたであろうかの、ワシが目を醒ましたところ、小童たちはまだ笹船で遊んでおった。 二つに別れてはおったがの。 おかっぱ浴衣の童と、もう一人の小さな女子。 この二人はなにやら笹船の姿見にこだわっておるらしく、妙な切り目や装飾かのようなものを施しておる。 と、歓声が上がった。 お? 別れたもう一つのほう、こちらはやんちゃ盛りの男子ばかりのようじゃが。 こちらは巡回する笹船に小石を投げて当てる遊びに興じておるの。 荒っぽいが、まぁ男子というのはこういうものかのぅ。 ワシも参加してやろうかと思わないでもなかったが、ここは大人になって自重するのじゃ。 一撃で笹舟艦隊を全滅させて興ざめじゃろうからのぅ・・・うずうず。 盛り上がっておるのぉ・・・うずうず。 あぁ、そこはもっと動きを読んで、先読みで当てるのじゃ。 うずうず。 うずうずうず。 うずうずうずうずうず!! ワシの鋼の如き忍耐が限界に近づく頃、今度は女子のほうで「あぁっ」という声がし、思わず振り向いた。 あ・・・。 見ると、一艘の笹舟が川下のほうに流されていくところじゃった。 女子のほうは手に笹船を持っておるゆえ、どうやらかかさま童の笹船であるらしい。 うっかり流されてしもうたか。 ワシは近づき、 「ちょっと待っておるのじゃ。すぐに取ってきてやるからの」 と歩き出そうとし、「ふぎゃっ」とずっ転ぶ。 な、なな・・・? 見ると、ワシの足に抱きつくようにして童が引き止めておるではないか。 この身は蛇神ゆえ、これくらいで傷つきはせぬが・・・乱暴な。 ワシは苦笑しながら、 「すぐ戻るゆえ、ほんの少しだけ辛抱してくれい」 続けて、横の女子に面倒を頼もうとしたところ、童がぶんぶんと首を振った。 うん? 「なんじゃ?」 「いいの」 む? 「あれでいいの」 「ぬ・・・おぬしがそう言うのなら構わぬが。本当に良いのか?」 「あい」 真剣な顔で言う。 それはどうも、ワシがしばしでも離れることへの恐怖でなく、他の何かゆえである気がしたのじゃ。 と、またもや歓声が上がる。 ある男子の投擲が見事、笹船の一艘を轟沈せしめたらしい。 それを見やり、ふと目を戻して・・・童の表情に息を呑んだ。 そして、そのとき。 ワシはようやく悟ったのじゃ。 ・・・不憫なり。 「のぅ、童よ」 「あい」 夕暮れを童の手をひいて歩きながら、ワシは声をかけた。 「おぬしは・・・護ったのじゃなぁ」 童はしばらくしてから、「あい」と呟いた。 川沿いに歩きながら、童の手を強く握る。 この先には海がある。 あの笹船はきっと、今頃はきっと、大海原へと航海に乗り出しておることじゃろう。 のぅ、おぬしもそう思うであろ。 あい。 あの時、おぬしは怯えておったのじゃな。 あの男子どもが、おぬしや女子の笹船まで標的にして石を投げるとは思えぬが・・・おぬしは心配じゃった。 もし万が一、そうなったならば。 己の力では護れぬと、そう考えた。 大切なものは奪われ、失われる、そう知っていたから。 そこでおぬしは・・・手放すことで護ろうとした。 大切なものを手放すことで、護る。 それが無力なおぬしの、たった一つの冴えたやりかた。 思えば、あの露店の髪飾りの一件。 あのときも、おぬしはこわくなったのではないか? 欲しかった。 大切にしたいほど欲しいと思ったとき、おぬしは同時に思い出してしもうたのじゃな。 大事なものを奪われる喪失感、それはおぬしにとって、魂の髄まで刻み込まれた恐怖そのもの。 もう一度味わうくらいなら、何も手に出来ないほうがいいと。 その齢で・・・不憫な。 なんともなぁ、やりきれぬよ。 いかん、いかんのう。 ワシのほうが弱音を吐いては、おぬしに笑われてしまうのじゃ。 なぁ、童よ。 「強くなければ生きてはいけぬ。ひとに優しくなれねば生きるに値せぬ」 海の向こうの書にあった金言じゃ。 おぬしは強くならねばならぬ。 奪われるだけの弱き者、奪われることだけしか知らず、そう生くる者。 今のおぬしはそうかもしれぬ。 じゃが、お前の運命はそれだと、おぬしにそう言うことをワシは誰にも許さぬ。 誰にでも明日は来る。 じゃがの、おぬしには明日に行く者になって欲しい。 諦めることを、諦めて欲しいのじゃ。 そしてそれ以上にの、おぬしは生きるに値する者でいて欲しいと、切に願うのじゃ。 うむ・・・決心したよ。 ワシは歩きながら、童の手を強く強く握った。 そして、立ち止まる。 「童、おぬし・・・」 「あい」 一つ息を吸い、静かに問うた。 「蛇神になるか?」 童が目を大きく見開く。 ワシが蛇神であることは知っておろう。 それゆえ、おぬしはワシを選んだのじゃからな。 だが、ワシのほうはおぬしを選ぶのに時間がかかった。 迷うたよ。 なにせ、永遠の十六歳じゃからのう。 乙女の中の乙女じゃ。 いきなり“かかさま”と呼ばれてもの・・・巷で流行の未婚の母“しんぐるまざー”というやつかの。 蛇神という立場以上に迷うたぞ。 じゃが・・・ 「どうじゃ?」 童の表情はめまぐるしく変わった。 驚き、喜び、恐れ、いまだ名づけられざる葛藤。 ワシは微笑んで告げたよ。 「ワシはこう見えて蛇神じゃからの。けっして・・・けっして、おぬしを残して死んだりせぬ。永遠が絶対なのじゃ」 永遠が絶対。 この響き、おぬしはいつか悟ってくれるであろうかの? ・・・そう望むのは欲というものじゃろうかの。 ワシも永く生き過ぎたか。 いや、十六歳じゃがの? ワシを見上げる童が初めて笑顔を見せた刹那、 「あ・・・」 化身が解けた。 童を縛っていた、遊ぶときさえ片時も忘れず張り詰めていた心がほころび、本来の姿へと・・・ 「・・・お、おぬし・・・」 「・・・」 いや、これはしかし・・・その・・・参ったのぅ。 ワシの不覚であった・・・。 なんというか、その・・・おぬしを蛇神にするのは・・・あー・・・ 「・・・」 喜びのダンスに身をのた打ち回らせる様子を見、ワシは嘆息した。 ・・・まぁ、よいか。 後年、ミーリム海岸の通称“中国人島”にレアPOPするという新モンスターの噂が流れた。 なんでもそのオオデンキウナギは「へびがみなのじゃー」とshoutしながら、じつに楽しげにダンスする如く巨体をのた打ち回らせるのだという。 その頭頂部には、太陽光に反射し輝く巨星の髪飾りがあったというが、定かではない。
↓好印象を持って下さったら、是非♪