「確かめてきて」
目の前のDLに向かって、有紀が言った。
「・・・私が、ですか?」
という返事は合格点ではなかったようで、
「当たり前でしょ! あんたがもってきた話なんだから、あんたが確かめなさい!!」
と怒られた。
のみならず、「やっちゃった後で間違いでした、なんて寝覚めが悪いじゃない」と呟くのまで聞こえた。
その“やっちゃった”は、どのくらいのやっちゃったを想定しているのか確かめたかったが、やめておく。
頷くDLに向かって、有紀は言った。
「証拠をつかんで。あとは場所も忘れずによ」
「場所、ですか? 青山忍の?」
またまた合格点ではなかったらしい。
見る間に眉がつり上がり、「相手の女のに決まってるでしょ!!」と怒鳴られた。
「あの・・・」
DLが控えめに口を開く。
「本当に青山忍が浮気してて、相手の女の場所も分かったら・・・どうする気なんです?」
有紀は少し間をあけた後、
「あなた、切り裂きジャックの話とか好き?」
「・・・いえ。多分」
彼女は慈愛に満ちたような微笑を浮かべた。
視線の合ったDLの体温が下がる。
「あなたは知らないほうが良いと思うわ」
その通りだと思った。
DLはロレン峡谷にある城を出、ロレンシアに戻った。
ロレンシアで何をするでもなく数日を無為に過ごし、そろそろいいかとロレンの城に向かう。
城門で用件を告げると、即座に玉座まで通された。
「話して」
氷のような表情をした有紀が、氷のような口調で命じる。
脇にいるリッキーが苛立たしげにしているのは、どうやら何かの用件の最中だったかららしい。
何の話だったのかは分からないが、有紀の優先順位は決まっている。
かくして有紀はDLの返答を待ち、リッキーは苛々と待つことに。
DLは口を開き、こう言った。
「やはり、青山忍は浮気をしていたようですね」
その瞬間、「相手は誰っ、どこにいるの!!」と叫び、有紀が突進してくる。
と、それを阻むようにリッキーは動き、「おい」と声をかけようとしたが・・・それは致命的なミスだった。
有紀の姿がバトルマスターの視界から消えた。
沈み込むようにその腕をかいくぐると、全身のバネを使って渾身の力を込め、相手の股間を蹴り上げる。
稲妻のように跳ね上がった右脚は男の睾丸の一つを砕き潰し、もう一つを体内深くに潜り込ませた。
瞬時にして舌が喉をかけあがり、ひきつる限界まで口蓋へと飛び出し、男の全身は硬直、失禁しながら弛緩し崩れ落ちる。
と、その沈む身体を掬い上げるように打ち出された掌底が顎を強打、脳を振動させ、男の意識を飛ばさせた。
もはや完全に意思を喪失したそれを、腰をひねるように旋回させた上段回し蹴りが・・・
白目をむき、全身を痙攣させる男がゴミのようにつぶれるまで、その間じつに2.4秒。
これが史上初のエルフ城主、有紀の現在の実力である!
「・・・ぐ、グラップラー・・・」
うめくようにDLの口から漏れた独白。
血走った目・・・いや表情をして、有紀がDLのほうに向き直る。
DLはかろうじて悲鳴をあげるのを口の中で堪えた。
「どこ?」
その声はどこか、世界の果てから響いてくるようだった。
「あ・・・」
声がかすれて出ないDLに、有紀は再び「どこ?」と尋ねる。
DLは深呼吸をし、ありったけの勇気をかき集めて答えた。
「い、いません」
無論、合格点ではなかった。
「いないって何!! あんた庇うつもり? 無駄よ、言いなさいよ。ありとあらゆる手を使って吐かせるわよ」
ありとあらゆる手を使われないでも、知っていることなら何でも話したくなった。
だが、DLは本当に最後の一滴まで勇気を振り絞って答える。
「いません」
有紀の瞳が危険な薄さに細められた。
「もういないんですっ」
とDLが直立不動で叫ぶ。
近づいてくる有紀。
相変わらずパーソナルスペースの狭い彼女のことだ、くっつきそうな目の前まで来るに違いない。
「もう・・・?」
気に入らないと全力主張する表情に、かすかな疑問が掠める。
「は、はいっ。相手の女も、青山忍ももういないんですよ!」
有紀は何を言われたか分からないように立ち竦み、「どういう意味?」と訊く。
「二人はこの世界から去ったんです。行き先はSUNか他の世界か、いずれにしてもこの世界のどこにももういない」
静寂に沈む玉座の間。
緊張に耐え切れず、DLが失神しそうになったとき・・・有紀が泣き出した。
大声で泣き出した。
今まで、大人の女がこんな風に大泣きするのを見たことは無かった。
有紀は泣いた。
城に響き渡る声で泣き続けた。
試練の地を開放する手続きの途中だったが、リッキーの末路を目撃した人間がそれを口に出せるはずもなく。
丸々一昼夜、有紀の泣き声はロレン峡谷に響いた。
有紀は文字通り、涙が涸れるまで泣いた。
涙が出なくなると、それが悲しいと言って泣いた。
どのくらいの時が流れたのだろう。
真っ暗になった玉座の間に人影は二つ。
DLが有紀に近づく。
有紀は反応しない。
正面に回ってみたが、その瞳は目の前のDLを映しているのか疑わしかった。
「あ〜・・・有紀?」
声をかける。
ふっと、わずかに瞳に色が戻る。
「・・・」
「こほん。私・・・僕だけど、分かるか、な?」
「・・・忍?」
そのかすかな問いに、DL・・・いや、僕は頷く。
と、有紀の表情に理解がさしていく。
そして、有紀はまた大号泣した。
「良い! それって、すごく良いよ!!」
DLで城主連合に加入し、有紀のそばにいようと思うと言ったら、彼女は「良い!」を連呼した。
正直、本当に殺されるかもと思っていたのだけれど、そしてそれも仕方が無いとさえ思い始めていたのだけれど、どういうわけか泣いた烏は怒らず笑っている。
なんでも、馬スキルで敵を弾き飛ばすのが、なんだか恋人から悪い虫を追い払うようで良いのだと言う。
ピンとこなかったけれど、有紀がご機嫌なら文句なんてあるはずがない。
「でも」と有紀は怪訝そうに、そして少し悪戯っぽく微笑いながら、
「どういう風の吹き回し?」
と僕に問い掛けた。
そう言われても、僕は苦笑するしかない。
まったく、僕だって分からないよ。
省エネをポリシーとする僕が、ねぇ。
有紀は言う。
「忍はね、ほんとはすごい力を持ってるんだよ」
こうも言う。
「忍に足りないのは覚悟だよ」
「覚悟?」
「うん。ほんとの自分を自覚する覚悟」
「難しいことを言うなぁ」
「たとえば、そう、ゴーギャン、ゴッホ・・・今は高名な画家で、生きてる間はぜんぜん評価されなかった巨匠たち」
「名前は聞いたことあるな」
むしろ、有紀がそんな名前を知っていることに驚いた。
「死んじゃってから凄い立派だなんて言われてもさ、本人には関係ないじゃない」
「うん、そうだね」
「なら、なんで彼らは絵画の道を進んだのか! わかる?」
僕は少し考え、首を振る。
「自分が何者かを自覚してしまったからよ。ゴーギャンは小さな島でゴミのように死んだ。自分が名画家であることを知らなければ、そんな死に方はしなかった。きっと」
「こわいな」
「こわい?」
「うん、こわい」
僕は呟く。「確かに覚悟が必要だ」
「ベイチョーって人がこんなことを言ってたわ」
「ベイチョー?」
どこの国の人だろう?
「うん。人間国宝とかいう人の」
それで得心する。
「あぁ、桂米朝?」
「かな? その人が言ってたのよ」
有紀はその言葉を披露してくれた。
“ひとたび技芸の道に踏み入れば、末路哀れは覚悟の上”。
そんな感じのことを言ったらしい。
覚悟か、と僕は思う。
有紀が口元は笑いながら、けれど目は笑わずに
「覚悟はある?」
試されてる、何故かそう思った。
覚悟。
僕にあるだろうか。
いや、そもそも覚悟って、何の。
僕にとっての覚悟は。
「忍がさ」と彼女は続ける。
「ほんとに本気になったら、あたしなんか太刀打ちできないよ」
例によって全く根拠の無い、不思議な自信を持った言葉で、有紀が言う。
「世界を狙えるね」
世界か。
そこで気づき、僕は薄く笑った。
“自覚した”。
ゴッホ、ゴーギャン、彼らもきっと今の僕のように気づいたのだ。
“自分”に。
有紀を見つめ、僕は口を開く。
「world is not enought」
「英語わかんない」
有紀が不満そうに言うので、訳してやる。
「“世界じゃ不満だ”」
そして耳元で囁いた。「きみが欲しい」
覚悟を決めるというのは、こういうこと。
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