日記っぽいもの

 『ハウンドの世界』




ごきげんよう、諸君たち。


今回は、

MoE公式運営ブログにおける

かのGMミシャグジー准教授が出題する問いの

“その正解に対し、「本当にそうだろうか?」”

いちゃもんをつけて 哲学的な探求を続けていこう!

というのが趣旨である。


なお、GMミシャグジー准教授と 勝手に したが、

私が教授というわけではない。

そう、たとえば

講義に出席する学生なのに

やたら老けて貫禄のある

無意味に偉そうな口調の

綽名が“先生”という一学徒と思ってもらえばよい。

なので、諸君たち

私のことはマオ先生と呼ぶように。





それでは、今回の思索を始めます。



この回の問題文は


縦横20mの土地を用意してな。
四方を全て柵で囲い、はうんどをつなぐ紐も3mのものを用意したのじゃ。
さてここで問題じゃ。
土地の1つの角に「 れくすーる はうんど 」がおり、
その「 れくすーる はうんど 」は上述の紐につながれておる。

では、このはうんどは、どれだけの範囲を歩けるじゃろうか?



であった。



それに対し、正解は


答えは単純。
柵の中ならばどこまでも動けるのじゃ。
なぜかといえば……
紐にはつながれておるが、紐は角にはつながれておらん。
つまり動きを制限するものは柵だけなのじゃよ。



であるという。


すなわち、

ハウンドは縄に繋がれているが、

縄はどこにも繋がっているとは書かれていないので、

柵の中なら自由に移動できる・・・

というわけである。



なるほど。

納得のひっかけ問題だ。





だが、本当にそうだろうか?






ハウンドといえば犬である。

わんこである。

ワンワン。


それは古来より人の忠実な下僕であり、

パートナーであり、

友人であった。

時が流れた現代においてなお、

同種族の友達と勘違いして服を着せている人類を見ても

それは明らかである。


もちろん、

私は争いを避ける温厚な紳士淑女の一員であるから、

その姿を

「一方通行の身勝手なジコマン愛情」

などと言うつもりは毛頭ない。

むしろ、

それだけ愛情をそそいでいるのであるから、

犬のほうもご主人様を愛してやまないはずだと、

ここでは言っておこうと思う。



さて、我らが問題に戻ろう。


GMミシャグジー准教授の問題文によれば、

ハウンドはロープに繋がれている。

さらに、柵の中に入れられているという。

これはすなわち、

飼い犬であることは間違いない。


というか、

この日記のアップ前に運営ブログを読み直して今気づきましたが

GMミシャグジー准教授の飼い犬(予定)だ。


となれば、

ハウンドを考えるためには

ご主人様であるGMミシャグジー准教授の存在を

入れねばならない。

それがわんこというものだ。

犬のことを考えるときは、犬の価値観で考えよっ。


愛してやまないご主人様。

嗚呼、敬愛しておりますマスター。

一瞬たりともお側を離れませんマイロード。


ハウンドがそんな想いでいることは明白といえよう。


にもかかわらず!

この出題文に、

ご主人様がどうしているかの記述は一切ない。

それどころか、

20メートル×20メートルの柵の中にハウンド1匹だけが

放置されているこの状況。

つまり、

ここで検証しなければならない重要な問題要素は

“このハウンドは放置プレイで愛情を感じられるマニアックな領域に達しているか?”

ということになるだろう。


私たちの手元にある情報は出題文だけである。

読み直してみる。

すると気になるのは、

“ハウンドは柵の四方の隅っこの一つにいる”

という点である。

これは

“隅にハウンドがいるだけで、隅にロープで繋がれているわけではない”

という、ひっかけ問題の性質によるものと思われてきた。

が、本当にそれだけの一文であろうか?


わんこは自由奔放に駆け回る動物である。

猫がこたつで丸くなっても、

わんこが雪の中を走り回る生き物であることは

古来より伝わる歌をみても明らかだ。


であるにも関わらず、

このハウンドは隅っこにいるという。

引き篭もりのように?

このことは、

このハウンドが健康正常な精神状態でないことを示していると言えるだろう。


そもそも、

ロープの先にご主人がいないわんこの気持ちを想像してみればよい。

どれだけの不安に駆られていることか!


この不安を分かり易く例示するために、

以下に私の思い出を引き合いに出してみよう。



昔、

私と彼女の会話でこんなことがあった。


私が「自分って人間小さいなー」と自嘲したエピソードについての話だった。


彼女と会う予定の無い日、

自室に帰っても当然一人である。

たこ焼き屋さんで持ち帰りを頼む。

そのとき、

「お箸はいくつお入れしますか?」

と聞かれ、

思わず、

「あ、二つお願いします」

と、情けない自意識過剰な見栄を張ってしまったという話だ。

彼女と付き合っているのだから

実際フリーではないわけで、

彼女はいるんです!

と見栄をはる必要などみじんもないはずなのに。


それを彼女に話したところ、

いかに私の人間的器が小さいかを忌憚無く指摘してくれ、

さらに、

それに比べて自分などは

飲み会で「付き合ってる人いるの?」と聞かれたら

「フリーですよー」と答えてるのに

と仰せになられた。



・・・え?


私たち、付き合ってますよね? ね!?



このときの私の気分が

“ロープに繋がれた先にご主人様のいないわんこ”

の気分に極めて近いと推測されよう。


この身に迫る一例をもって

問題文のハウンドの気持ちを推測するならば、

いかに危うい精神状態であるか

想像するに難くない。

ていうかありえなくないですか。

ほんとかんべんしてください、ぼくをすてないでごしゅじんさま。


こほん。


とにかくすなわち、

このハウンドは隅っこに逃げ込んで一歩も動けないほど

精神的に追い詰められていることは明々白々なのである。

間違いない。

あの日から数日、部屋から一歩も出なかったもんワタシ!


私は出題者のGMミシャグジー准教授に

心の底、魂の底から大声で訴えたい。

今すぐそのロープをハウンドから外してあげなさい。

そのままでは死ぬまでその隅っこで引き篭もりになります。

尊い生命を、

たかがひっかけ問題如きのために犠牲にして良いはずが無い。


と。


確かに移動する自由はあるかもしれない。

でも、

そのハウンドにはそれが出来ないんです!!


そこで「自由があるのに移動しないのは自業自得じゃね?」などと

冷たいことを言う輩は

無駄なフローティング装備一式つけて尼橋から飛び降りてしまえっ。

えーえー、そりゃあね

年収一千万の相手と結婚する自由はあるさ!?

けどねっ、実際には自由があったって・・・あgjhぎょえpんが (感情が高ぶりすぎて解読不能








《駄猫的な結論》



ご主人様を与えない限り、ハウンドは一歩も動けない。



P.S.

ハウンドの前に、私にご主人様を与えてあげて下さい。






↓好印象を持って下さったら、是非♪